それからしばらくの間、ワタシは、左隣の椅子が空くとそちらへお尻をズラすという動きを繰り返すだけの、からくり人形のようになっていた。
アメリカンドッグのスティックを刺した彼を、ちょっとだけでも(初体験仲間かもしれない)と思ってしまったことを後悔した。
ボディピアスをしたがる人の心理を自分ナリに考えてみて、もしかしたら気に入った装飾品と自らの肉体とを融合させてしまうという究極のドレスアップなのかもしれないと思考の整理を付けていたところに、彼の行為を見てしまったので再び混乱してしまった。
よりによって、何故アメリカンドッグ?
ちょっと油が染みてるし。
そして何故無造作に手折ったまま?
あぁ、もう考えるのを止めよう。
そしてワタシは、からくり人形になった。
自分の番まであと5人くらいの時に、処置人手伝いと思しき男性が近づいてきて、ちょっと深めの紙皿を手渡してきた。
受け取ると、消毒用アルコールかオキシフルだったかをドポドポと注いできた。
そして、ワタシの膝の上に乗せておいたピアスと針を取り、それらと彼自らが持っていた小さなコルク栓2つ全てをパッケージから出して皿の中に落とし液体に漬けていった。
手伝いは、穴開けに使う全ての器具は15分以上消毒液に漬けておかなければならないと説明した。
「開ける場所は耳でいいのかな?」と聞かれたので「ハイ…」と力なく答えた。
右隣の女性は開ける場所を聞かれ、「舌です。」と答えていた。
すると手伝いは紙コップとイソジンを持ってきて、薄めたイソジン液を15分以上口に含んだままにしておくように言った。
指示された女性はイソジンセットを持って奥の洗面所に行き、緊張した面持ちのふくれっ面で帰ってきた。
穴を開けること、口に含んだ液を漏らさないようにしなければならないことの両方で緊張しているのだ。
しかし、明らかに口に含む液の量が多すぎたと見える。頬がパンパンだ。
もし今、爆笑アクシデントが目の前で起きたら確実に飛沫を食らうと思い、心持ちお尻を左側へずらした。
自分の番まであと3人、2人と近づいていくうちに、だんだん自分に対して苛立ってくるのがわかった。
イヤなら帰ればよかったじゃないか。
誰もここに居ることを強制してなんかいないじゃないか。
なにやってるんだ自分。
意地やプライドばかり気にするくせに覚悟を決めることも出来ず、かといって「NO!」と言うことも出来ない自分が情けなくなった。
もう狼狽するのはやめよう。
待ち人用椅子の先頭に座り、すぐ横に迫っているカーテンの向こう側で女性が服を脱ぎ下着を外す気配を感じながら、ワタシは肚を括った。
「次、耳の人~。」
呼ばれて処置エリアに入った。
丸椅子に座ると、心身ともに血の気が引いていく感じがした。まさに「まな板の上の鯉」。
持っていた紙皿を処置人に手渡すと、彼はビニール手袋をしながら「ボクが開けちゃうんでイイかな?」と言った。
ヘタレオーラ全開だったせいで、端から自己処理する気はないと決めてかかられている。
ご推察通りだ。「お願いします」と謙虚に答えた。
処置人はまず、リング状のピアスを消毒液から取り出し、ピアッシングしやすいように加工しだした。
ピアスは元々ははめ込む石がギリギリ通るくらいの隙間があいた円弧状をしているのだが、そのままでは当然作業が出来ない。
専用のペンチで、左右にではなく、前後にひねるようにして拡げた。伸びきったコイルの一部のような形状になった。
理由はチラシにも書いてあったのだが、左右に拡げるとせっかくのきれいな円弧が歪んでしまい元に戻せなくなるからなのだった。
ペンチは、ピアスを傷付けないように先の部分がコーティングされたものだった。
2つとも加工が終わり、再びそれを液の中に落とすと、彼は消毒綿で私の耳たぶを拭き拭きした。
油性ペンを取り出し、鏡をワタシに手渡してきて「場所は、どこら辺がいいかな?なんか希望はある?」と聞いてきた。
…沢山付ける人たちは、今後の予定も踏まえて端っこや上のほうに開けたりするのだろうか。
もちろんワタシにはその予定は無いので、察してくださいと言わんばかりに「オーソドックスにおねがいします。」と言った。
彼はにっこり頷いて、油性ペンで耳たぶの程よい位置に点を記した。
かなり厳重に器具を消毒しているという印象だったのに、油性ペンでじかに印を付けることに違和感を覚える。
成分がどうであろうと、インクはインクだ。かといって、他にあたりを付けるいい方法は思いつかないのだった。
「ここでいいかな?」と聞かれ「はい。」と答えると、彼はとうとう、あの長い針を取り上げた。
もう動揺はするまいと思ったが、さすがにあの鋭利な先端を見るとビビッてしまう。
明らかに、今までに打った注射の針より太いし。長さも10cmくらいあるし。
イヤでも心臓が高鳴る。
彼は、側のワゴンの上にあった化膿止めの軟膏のチューブを取り、キャップを外しほんのちょっと黄色いペーストを搾り出すと、針の先端でそれすくい上げるように取った。
そしてコルクをまず右耳たぶの裏側にあてがい、「位置だけじゃなく、角度も大事だからねぇ~」と言いながら、黄色いのが付着した針の先端を突き立てた。
(あっっ!!!)と思う間もなく、彼はグッと手に力を込め、針は耳たぶを貫通し裏のコルクがその先端を受け止めていた。
いっっったぁぁぁーーぃ……。
やっぱり痛いよ。そりゃぁ痛いよ。だって貫通してるんだもん。
とうとうやってしまった。とうとうだ。今、ワタシの耳には針が突き抜けている。
(あーーぁ)って感じだ。
耳たぶには、嫌な痛みが持続している。イヤリングで強く締め付けているような鋭い圧迫感である。
彼はコルクを外すと、さらにズズズーーっと針を奥まで差し込んでいった。
軟膏が付いているのでスムーズに針は進んでいくのだが、これはかなりショックな行為である。
針の長さの半分まで進んでいったとき持たされていた鏡で見てみたが、自分の耳たぶの無残な有様を可哀想に思った。
それこそ、どこかの現地人の風習を施されているようだった。
彼はさらに針を刺し進め後端1cmくらいになると、加工したピアスリングを取り上げ、ずらし拡げた先端を筒状になっている針のお尻に差し込むようにした。
そして針を抜きながらそのままの流れでピアスを耳に通した。
針を置くと、専用ペンチでリングの変形を元に戻し、液から取り出した石をリングの隙間に入れて、石の両端の穴にリングの端をはめ込んだ。
一連の処置はあれよあれよという間に終わった。
同じような感じで左耳も終えた。
処置人は作業を終えると、左右のピアスの位置、リングの角度などを見て、「うん、左右対称、ばっちりだね」と嬉しそうに言った。
言われてワタシも鏡で見ると、確かに位置も角度もうまいこと左右同じだった。
プロの技と言っていいのだろう。
処置人は、今後のケアの仕方を説明してくれた。
まず、消毒液は使わないこと。使うと傷の治りが遅くなるので。
毎日お風呂にはいった時に、薬用石鹸でピアスをクルクルとずらし回しながら洗い、よくすすぐこと。
以上だった。
そんなんでいいのかなぁと思いつつ、「はい。ありがとうございました。」と言って店を出た。
店を出て、炎天下の中裏通りを歩き会社に戻った。
耳たぶには、まだ鈍い痛みが残っている。
ワタシの挙動は、明らかにおかしかった。
自分以外の全ての物体から、確実に2m以上の間隔を空けるように行動していた。
まるで、半径2mの巨大な歩行器に乗って歩いているような、不自然な動きだった。

(歩行器:参考資料)
もしかしたらすれ違う時にこの両耳のピアスの輪っかが引っかかってしまうかもしれないという、おろかな理由からである。
前方から人が歩いてきたら、失礼なくらい迂回した。
狭い道はど真ん中を歩いた。
車が通るときは心底緊張し足を止めた。
こんなとんでもない経験をしたのに、これから10数分後には会社で普通に仕事をしている自分を想像し変な感じがした。
処置の様子をみてわかったのだが、このピアスは手では付け外しが出来ないようである。
石の穴にリングをはめる時、彼はペンチでかなり力を入れていた。
外す時もきっと、専用のペンチで輪を広げないとダメなのだ。
これは、もうファッションではないのではないか。
ただの”耳輪”じゃないか。
ワタシ、おしゃれのためにピアスをしたかったんだけどなぁ…。
フラフラと歩くワタシの頭の中で、何故か「ドナドナ」がリフレインしていた。
会社に戻ると、社長との会議を終えていたA、B両氏が「おかえりー」と寄って来た。
(のんきにおかえりーじゃねぇよ!)と内心悪態をついてしまったが、再び平静を装うワタシ。
「どうだった?あ、うまく開けてもらったじゃん!よかったね」とワタシの耳を見て2人は言った。
「いやぁ~今日は混んでたよな。夏休みだからだな。俺が行った時は10分くらいで店を出てきたからさ。たまたま空いていたのかな?こんなに時間が掛かるとは思わなかったよ。」と言うA氏。
あんなに講釈をたれたクセに、スタジオに行ったのは1回きり?
もしかしてただの耳年増の初心者なの?
しかも置き去りにしやがって!
疲れも手伝って不機嫌になるワタシ。
「このチラシもらいました?」と、2人の前にたたきつけた。
「何これ。こんなんもらったの?へー色んなピアスがあるんだねぇ」覗き込む2人。
「もっと中のページを見てください。」と言うと、二人は手に取りページをめくった。
まずはじめに目に入ったであろうデリケートゾーンのイラストを見て、2人は「うおぉ!なんじゃこりゃ!いったっそー!」と絶叫した。
やはり、ボディピアスの全貌を知らなかったようだった。
彼らは口々に「なんでこんなとこに刺すの?」とか「マジ?信じられん!」とかほざいていた。時折うめきながら。
男性自身を貫通しているピアスを見て、「どういう時の状態を基準にしてピアスのバーの長さを決めるのか」を真剣に談義していた。
「その次のページを見てくださいよ」
ワタシが言うと、彼らはページをめくり、二股に裂けたイラストを見て絶叫した。
「ギエ~~~!!」「なんで!?なんで!?なんでこんなことすんの?!」
彼らは、ワタシについさっきまで起きていたのと同じ衝撃を受け混乱しているようだった。
そして、心なしか腰が引けていて股をモジモジしていた。
A氏は泣きそうな顔をして「フランク君がまっぷたつ!!」と叫んで股間を押さえた。
それを見て、ワタシはちょっと、ホンのちょっとだけ胸がすいた。
結局、しばらくの間そのピアスをし続けるハメに陥ったのだが、半年ほどたった頃、さすがに飽きて自分で外してしまった。
輪っかを指先で力をこめて拡げると、時間は掛かったが何とか石が外れた。指にはピアスのリングの、細い跡が残った。
僅かな隙間から耳たぶを抜くようにして外した。
呪縛から解き放たれ、それから何年かは可愛らしいファッションピアスを付けていたが、ある時、ボディピアスの扱いの容易さ、体との一体感を思い出し、思い立ってボディピアスを復活させてしまった。
ボディピアスは基本的に付けたままなので、ファッションピアスのようにキャッチを無くすと言ったことがない。
お風呂で体と一緒に洗える。
そのまま寝ても耳の後ろ側に針が刺さることがない。
色々調べるうちに簡単に外せるボディピアスがあることを知り、様々なデザインのものを買い集めるようになった。
知らず知らずのうちに、ワタシはボディピアスの魅力というか利点にに嵌っていってしまっていたのだ。
ずっと片耳に1つずつだったピアスの穴は、ある時いきなり計5個になる。
30を過ぎて、仕事中に事故を起こしそれ以降後遺症などに悩まされるようになったことが切っ掛けだった。
怪我は治ったが精神的に変調をきたし、神経症などを患いなかなか回復できなかったのである。
ある日、同い年の友人が、「まぁねー。私ら厄年の、いわゆる前厄ってヤツだからねー」とワタシに言った。
その子も最近頭痛に悩まされていると言っていた。
また別の友人が、「あたし、ピアスの穴を増やしたら運勢変わったんだよねー。」と言って自分の髪を耳に掛け見せてくれた。
その子の耳には、左に5個、右に4個のピアスが付いていた。
彼女は「偶数個しか開けていないと運勢悪くなるらしいよ。」とも言った。
「コレだ。」とワタシは思った。
今の苦しみから抜け出すためには、何でもやってみよう。
穴開けて楽になるんなら儲けものだ。
その日のうちに近所のアクセサリーショップに行き、ピアスガンを3個買った。
あと1つ増やすだけでは効果が薄そうだし、かといって友人と同じ数にするのもはばかられる。
全部で5つの穴。
夜、主人にバチン、バチン、バチン!と穴を開けてもらった。
(ウチの主人はその手のことは全然平気なのだ。)
ピアスガンは、スタジオで開けたのより確実に痛かった。
化膿も酷く、傷の治りも悪かった。
イケスカナイ奴だったが、A氏の講釈は正しいものだったと、8年以上経ってから知ったのだった。
というのが、ワタシが耳にボディピアスを5つも開けている理由である。
運勢が変わったかどうかは、今もよくわからない。
しかし、確かに体調はほぼ好調になってきているし、特に問題なく過ごしている。
ピアスはしっかりワタシの体の一部となっている。無いととても寂しい気分にすらなっている。
ただ1つ思うのは、厄払いのためにボディピアスを開けたのは、恐らくワタシくらいなのではないかということである。
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