2025/05/16 09:09
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2007/09/14 23:59
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私が小学校6年生の夏休みの期間中に、臨海学校があった。 6年生と言えば女子はもう第二次性徴期に入り、男子であってもそろそろガンダムやキン肉マン消しゴムから足を洗い、「まだそんなことしてんのかよ、ガキっぺぇ」などと言っては、オトナという雰囲気を演出しようとかわいげもない背伸びをし始める頃である。 タカが海じゃん。そんなのにワクワクするなんてガキっぽい----夏休み前には、一部の友人からそんな言葉も聞かれた。 しかし海ナシ県に住むこどもたち。 初めて海を見た、という子はさすがに少なかったが、“海”というレクリエーション濃度120%のシチュエーションを舞台に友達同士でお泊まりをする。これが楽しくないはずがない。 どんなに背伸びしようが斜にカマえようが、前後左右これ全て海。 私も、彼も彼女も、コドモのココロの真っ正面から、心ゆくまで海を楽しんだ。 これだけ楽しい思い出を作ったのである。 当然のように「臨海学校の思い出を作文にせよ」という宿題が課された。 さあ何を書こう?海に潜ったことか、それとも寝付けぬ夜のことか。 ・・・なんて思っている間にも、日々“夏休み”が私を襲う。 「夏休み予定表」の中、宿題・勉強に当てる時間はプライオリティ第一位に設定したはずであったのだが、自らが組んだ計画にも関わらず所詮そんなプランは絵に描いたモチ。 一行一文字も書かぬまま、少年の夏休みは去っていった。 少年には毎年先生から厳しく指導を受ける重篤な倫理的欠陥があった。 それは「夏休み冬休みの宿題を完遂しない」ことである。 好きな絵画や工作は賞をもらうほど熱心にとりくむのだが、6年生となったその年も、大嫌いな算数ドリルや苦手だった作文など、いくつかの課題が白紙のままとなっていた。 小学校は今年で終わりだ。 担任は今後の少年の人格形成に間違いなく害毒となるであろうこの悪癖を、今のうちになんとか是正せねばと考えた。 学校に親が呼ばれ、彼は例年の比でないほど猛烈に叱られた。 そして「時間がかかっても良い。とにかく宿題を全てやり遂げるように」と固く約束させられる。 少年は観念し、放課後は道草もせず家に帰って宿題をやる日が続いた。共働きであった母親が帰宅すると「今日はどこまでやったか」と毎日チェックされた。 やっとのことでドリルや漢字書き取りを終えたのは、9月も半ばを過ぎた頃。最後に残った宿題は「臨海学校の思い出を作文にせよ」である。 こどもの頃の一日は濃密で、長い。2ヶ月近く前のことなど既に昔話である。 少年はあの2日間の出来事を、ひとつひとつ思い出し始めた。 楽しかった臨海学校。思い出すほどに次から次へとことがらが溢れ出し、上手くまとめることが出来そうにない。しかたなく彼は思い起こした「そのすべて」を時間軸方向に展開して行こうと考える。 しかしそもそもが嫌いなため避けていた作文である。5行も書かぬうちに集中力はゼロとなり、筆は止まったまま一向に進まなくなった。 追いつめられた彼は一計を案じ、好きな絵を描く事で作文を補うこととした。 コドモ心にも「これは絵日記ではないのだ。さすがに作文に絵を描くのは反則だろ、しかも原稿用紙の上に」と思うには思ったが、理屈より感情が、キライよりスキが力強く少年の手を動かした。 最初は遠慮気味に挿絵をしていった彼であったが、おもしろいことに絵を添えるとなぜか筆もサエてくる。文も絵も、人に何ごとかを伝える手段であることに違いはないはずだ。たしかに先生は文章作成の訓練をねらいとしてこの作文を課したのであろうが、我々にとってみれば臨海学校の思い出を伝えることこそこの宿題の目的、僕は決してまちがったことはしていない!・・・こうして彼はお調子にノリ始める。 筆が走る夜には原稿用紙を文で埋め、ビジュアル的な演出が自分の中でキブンな夜には原稿用紙のすべてを絵で埋めた。ケイ線などハナから無視である。小学6年生の秋の夜、作文とお絵描きが彼の日課となった。 確かに「時間がかかっても良い」と先生は言った。しかしこれは皆と同じ事が出来なかった少年に対するペナルティであることと同時に情けで与えられた失地回復のチャンスなのである。その気持ちに報い、失われた信頼を取り戻すためには急いで仕上げるという誠意が必要なはずであった。 だが彼はあろうことか、この言葉を存分に活用する。 思い出の記述は詳細を極めた。楽しい海での出来事や夜の枕投げなどは言うに及ばず、それぞれのシーンに於いて友人と交わした会話の内容から朝昼晩のご飯のレビューに至るまでこと細かな述懐が縷々と綴られてゆく。ここまで来るともうドキュメンタリーである。 それだけでもう十分であったにも関わらず、何を思ったか彼は「もしも自分が(こんな素敵な)海のそばに住んでいたら」という仮説を仕立て、そこに想い描く夢の生活やその世界における自分の将来像など、すでに本来のテーマから逸脱し妄想の域に達するかのようなとりとめもないことどもを延々書き続け、10枚20枚と原稿が増えるとともに時間はどんどん過ぎていった。 10月。最後の運動会を終え、12歳の誕生日を過ぎ、そして11月。 柏崎の海を後にしたバスがようやく学校の校庭に戻り、到着を待っていた校長先生からのあいさつと解散のことばを書き終えたところで、少年は筆を置いた。 宿題は、完遂されたのだ。 題:「臨海学校の思いで」。総原稿枚数:104p。 担任は驚き、あきれかえり、そして 涙をこぼした。 3学期、最後の通信簿の「保護者の方へ」の欄に、先生はこんな風なことを書いて下さった。 「勝春君はマイペース過ぎるところが大変気になりますが、マイペースな取り組みの中に工夫や創意の姿勢が見られます。中学校に行ってからもこの力をもっと伸ばせるように、ちゃんと約束を守れるように成長していって欲しいです」 ************** さて、9月の半期末を迎えいろいろと大変なこの頃。なかなかログに手が付かず、しかし最近遅刻続きであることだし、約束は守らねばと思い、今回は(←今回も)『お茶をニゴした文章を書く謝罪とその言い訳』をテーマとした文章をサラサラっと書く事でお茶をニゴし、早々に寝て明日に備えようと目論んではみたものの、『早々に寝て明日に備える』ことを最初に実行してしまったため日付は変わってやっぱり遅刻。また遅刻。あぁ・・・・ しかも結構なボリュームになってしまった。 20年前のあの日から、1ミリも変わってない私。 小畑先生ごめんなさい。そしてありがとう。 そして・・・・ ごめんなさい。 PR |


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