「おやすみなさい、ぼうや」
「ねえママ。眠る前にあの風のお話を聞かせてよ」
「しょうがないわね……。むかしむかし、ある山のふもとに、モリスという青年が暮らしていました」

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モリスは小さな畑で風菜(かぜな)を育て、それを売って生計をたてていました。
風菜はおいしくて栄養満点で、市場では高値で取り引きされている野菜です。でも、風菜を作るのは大変なのです。
風菜はその名の通り、風の影響を受けやすい不思議な作物です。強い風に吹かれ続けると、苦くて辛くてとげとげしい味に育ちます。かといって風にまったくあてないでいると、歯ごたえが悪くて間の抜けた水っぽい味になってしまいます。風の調整がとても面倒で難しいのです。
風菜はこの地方の特産品ですが、モリスより質のよい風菜を育てられる人は誰もいません。
なぜならモリスは風菜とお話ができるからです。風菜が「痛いよー。痛いよー」と泣けば囲いを立ててやり、「寂しいよー。寂しいよー」と言えば大きな扇で風を送ってやる。毎日そうやって風菜の世話をしています。
夕方になって風菜の世話を終えると、モリスは家の裏にある妖精の泉にいつもお祈りを奉げます。
「どうか明日もよい風が吹きますように」と。
ある日、モリスは収穫した風菜を市場で売るため、ひさびさに町へとやってきました。
「モリスの風菜は相変わらず人気があるんだ。よろこんで高く買いとらせてもらうよ」
なじみの仲買人のおじさんが金貨をくれました。でも、おじさんの笑顔がいつもより弱々しく見えます。
「おじさん、今日は元気がないね。それになんだか市場に活気がないし、集まっている人も少ないようだ。いったいどうしたんだい」
不思議に思って、モリスはたずねました。するとおじさんは困った顔で答えました。
「いま、町では悪い病が流行っているんだ。大勢の人がそれにかかってしまい、何人も倒れている。お医者さんにも治療法がさっぱりわからないらしい。うつされないうちに、モリスも早く家に帰ったほうがいいよ」
モリスはおっかなくなって、買い出しもそこそこに家に帰りました。
その夕方、モリスは妖精の泉にいつもとは違うお祈りをしました。
「どうかみんなの病気が治りますように」と。
数日後、モリスがいつものように風菜の世話をしていると、お城の兵士をつれた大臣がやってきました。
「モリスというのはお前かね?」
「はい、大臣。ぼくに何の用でしょうか?」
「実は姫さまが流行りの病にふせられた」
モリスはお姫さまを一度しか見たことがありませんでしたが、とても愛らしく、笑顔が素敵な人なのは憶えています。
「王宮医師団が懸命に治療にあたっているが、一向に姫さまの熱は下がらない。それどころか、日に日に具合は悪くなっておる」
大臣も兵も悲しそうな顔でうつ向いています。
「ところがだ、どんな薬を飲んでも治らない病が、お前の作った風菜を食べるとたちまち治るとの話を聞いた」
質のよい風菜には薬効があります。それが町で流行りの病に効くようです。
「市場を探し回ってみたが、すでに売り切れていた。そこでこうしてやってきたわけだ。どうか姫さまのため、風菜を分けてはもらえないだろうか。王からは褒美をとらせるとの言伝を承っておる」
モリスは褒美はともかく、お姫さまのために風菜を差し出したいと思いました。ただ、畑に新しく植えたばかりの風菜は、まだ膝の高さにもなっていません。モリスはいつも風菜が腰ほどまでに育ち、「食べてー。食べてー」と言ってはじめて収穫しています。声が聞けるまではしばらくかかりそうです。
「大臣。申し訳ありませんが、この畑にある風菜はまだ若くて食べられません。あとどのくらいかかるかわかりませんが、収穫したらすぐにお届けするとお約束します。いましばらくお待ちください」
「うむ、頼んだぞ」
大臣は兵士を引きつれ帰っていきました。
その夕方、モリスは妖精の泉にお祈りをしました。
「どうか風菜が早く育ちますように」と。
そのときでした。
泉の水面がキラキラと輝きながら音もなく割れ、美しい女性が姿をあらわしたのです。
柔らかい髪と全身にまとった軽い布が、泳いでいるように揺れていてとても幻想的です。
「私は風の妖精。連日の敬虔なる祈りに応え、あなたの願い事を魔法で叶えましょう」
モリスは口をぽかんと開け、妖精の顔に見とれてています。
「まあ、そういう反応になるよねえ。いきなりこんなことになっても困るよねえ。じゃ、参考までに今までの願い事を見てみよっか」
百も承知と風の妖精は懐からペンと手帳らしきものを取り出し、パラパラとページをめくりました。
「まみむめも、モリス、モリス。えー、今日が『どうか風菜が早く育ちますように』。昨日は『どうか明日もよい風が吹きますように』。同じのがしばらく続いて……『どうかみんなの病気が治りますように』と。あとはまたずーっと風が並んでるか。あんた、風好きだねー。風大好きっ子か」
おまえが言うなと喉まで出かかりましたが、モリスはこらえました。
「半年くらい前に、『湯沸器に[エラー008]とよくわからない警告表示が出たけど爆発とかしませんように』って願い事も受けてるけど、これはどうする?」
「それは直ったみたいだからもういいです……」
オッケイとつぶやきながら、妖精は手帳になにやら書き込みました。
「さてと、風のやつだったらあたしの専門分野だから任せといて。植物の成長促進は農林担当妖精、病原菌殲滅は厚生担当妖精だから、ちょっと手続がめんどくさくて時間がかかるよ」
「なんだか中央官庁みたいですね」
「かもしれないね。あたしも風の妖精って通り名だけど、正確には国土交通省所属気象担当妖精だからね」妖精が、こんどは懐から『願望届』とある書類を出しました。「それはともかく、受付は17時までだからね。あと30分もないよ」
「ちょっと考えさせてください」
妖精に借りたペンで書類の住所・氏名欄をとりあえず埋めると、モリスは泉のそばに座りこみ、夕陽に輝く水面を見つめながら腕を組みました。
うーむ、と唸るモリスの横によっこいしょと妖精がにあぐらをかいて座りました。見た目はきれいなお姉さんだけど中身はおっさんの妖精にモリスは苦笑いです。
しばらくして、モリスは妖精の方を向きました。
「じゃあ、風菜をあおぐ扇が古くなってきたので、新しいのをください」
「え?」風の妖精が目を丸くして驚きました。「ちょっと待て待て」
吸っていたハイライトを泉に投げ入れ、妖精が慌てた様子で続けました。
「永遠の命とか金銀財宝でもいいんだよ。死者をよみがえらせたいとか、超能力を身につけたいとか非現実的な欲望はあんたにはないの?」
「特に……」
「あたしは仕事のノルマをこなしているだけだから、金の斧銀の斧や小さいつづらみたいに欲のない奴に対する特典は何もないよ。本当にいいのかい?」
モリスはゆっくりとうなずきました。
「今の僕にとっていちばん大切なものは何なのか……。それを考えた時間が、僕にとっての宝物ですよ」
穏やかに笑みをうかべるモリスにつられ、風の妖精も自然と目を細めました。
「カッコつけやがって……。じゃ、そう書いて」
モリスが必要事項を書いた願望届を受け取ると、妖精はザッと目を走らせて内容を確認しました。
「風をおこす扇だね。イサダクデ〜 イナカナデ〜 エマノカハ オノシタワ〜!」
妖精が低く響き渡る声で呪文を唱えると、モリスの目の前に新しい扇があらわれました。軽くて扱いやすい扇にモリスは大満足です。
「ありがとうございます。これで風菜の世話が楽になりそうです」
「明日もいい風が吹けばいいね。それじゃ……」
妖精は明るい声を残し、泉の中に消えていきました。
さて、妖精の国の国土交通省。戻ってきた風の妖精は上司におこられています。
「あのモリスのところに出現したのか? 先代、先々代および先々々代の風の妖精がすでにあいつの願いを叶えているんだよ。彼は『世界滅亡のときまでの生命』『使い切れないほどの隠し財産』『風菜と意思の疎通ができる特殊能力』を得ておる。そんな男のところに出てどうする。ちゃんと引き継ぎしなかったのか。事前調査なしか。世襲制の風の妖精一族は遺伝的にバカなのか」
「知るかよ……」
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「……というわけで、モリスは暇つぶしの風菜栽培をいつまでもいつまでも平和に続けましたとさ。めでたしめでたし。おしまい」
「遥か昔の領収書を提示しろとかいう杜撰さを露呈しつつ横の連携が機能していない縦割り行政の実態を比喩的に皮肉った寓話だね。まさに『風刺』だ」
「うまくないよ。早く寝ろ」
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