2025/05/15 08:48
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2007/06/20 00:17
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先日、ながい闘病生活の末に父が他界しました。 六月二十三日。 はからずも父の68回目の誕生日がそのまま父の命日になりました。 約2年程前から食道癌と闘ってきた父でしたが、 最終的にはアルコール性肝炎が引き金となってしまったそうです。 思い返せば、毎晩のようにとてつもない量のお酒を飲み 地鳴りのようないびきをかいては大の字になって寝ていた、そんな父でした。 大学入学と共に上京した私にとって、父との思い出はやはり幼ない頃のものがほとんどです。 とにかく豪快な人で、優しいというよりは厳しくそして恐かった。 スポーツが大好きで、スキー、ゴルフ、ボウリング、何をやってもプロ級の腕前でした。 私がスキーで骨折した時、父が私をおんぶしてゲレンデを滑って降りてくれた、そんな思い出もあります。 また、ギャンブル好きでもあり、マージャン、株、競馬など、パチンコ以外はなんでもやりました。 とくに競馬は、亡くなる1週間前まで病床よりやっていたそうです。 毎週日曜になると、タバコの煙りで薄暗くなった自室にこもり、ラジオに耳を傾けながら競馬新聞とにらめっこしている父を今でも鮮明に憶えています。 私は男3人兄弟の次男として生まれました。 兄と弟は共にぱっちり二重の丸顔で母似ですが、私だけは一重で痩せていて父似でした。 年を重ねるごとに父そっくりになっていく顔がとても嫌な時期もありました。 そのうえ性格も私が一番父に似ていて、お互いの事が良くわかりすぎるからか、ことあるごとに喧嘩になりました。 ただ、上京して美大に進んだ時も、大学でダンスの出合いプロを志した時も、あれだけ厳しかった父なのに不思議と一言も反対されませんでした。 昨年、大阪において全日本戦があったとき、父は退院直後にもかかわらず応援に来くれました。 一緒に観に来た友人達に嬉しそうに息子自慢しているのを見て、陰ながら応援されていることを強く感じました。 父は昔、競輪選手になりたかったそうです。しかし、当時は競輪はとても稼げる職業ではなく 兄弟も多く家計が厳しかったこともあって断念して普通に就職したんだそうです。 今を思うと、自分が夢をあきらめざるをえなかった、その悔しい思いを息子にはさせたくなかったのかも知れません。 よく自分が健康で立派に成長していく事が最大の供養だといいますが、 冷たくなった父の顔を見て、もうに度と帰ってこない現実を目の当たりにして、とても私はそんな気持ちはなれませんでした。 ただ、きっと一番悲しいであろう母が、感情を押さえ懸命に喪主を勤めている姿を見て、 この母をしっかり支えていく事が、私にとっては最も大切な事で、きっと父もそれを一番に願っているはずだと強く思いました。 父さん、母さんのことは心配しなくていいからね、、 PR |


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