2025/05/15 08:01
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2007/05/05 16:19
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ハローハロー、世界の皆さんお元気ですか。 今日の東京は最高気温が25度、 からりとした風がぴゅうぴゅう吹いて、空は青色、気持ちのよい快晴です。 私の住む国立市の大学通りでは、桜はとうに散ってしまいましたが、 通りの両側にある花壇では、チューリップやクロッカス、パンジーが色とりどりの色で咲き乱れています。 また、今日と言えば、端午の節句。 鯉のぼりも、かわいた風をからだいっぱい浴びて、青空を嬉しそうに泳いでいます。 そういえば、柏餅やちまきをもう食べましたか? まだの人はお早めに。 もはや子どもではないけれど、 成長したい気持ちはどんなときでも同じだから、願いをこめて食べましょう。 青い空がまぶしいです。 ぜいたくな太陽の光りが眼を刺します。 私は、そう遠くはないむかしのことを思い出します。 むかし、青い空を見ると、 憎くてたまらなくって、胸が破けそうに感じたことがありました。 あの頃の私は、日がないちにち眠ってばかり。 ある日、お昼までだらだらとまどろんでいたときのこと、 窓から差し込む光りのまぶしさと、身体にあたる熱にふと気付いて見上げてみたら、 そこには、初めて見るような鮮やかな青色が、晴れやかに広がっていました。 その色と対面したときの私の心を覆った感情と言ったら……。 私は少し、泣いたような気がします。 いや、少しではなく、思い切りかな。 ある意味それは、絶望に近かったのかもしません。 ただでさえ生きづらかった時期に、 あの色と出会ってしまい、私は完全に打ちのめされてしまいました。 それからしばらく、私は青空の恐怖症だったのです。 ふとんを頭から被って視界を真っ暗にしても、 ぎゅっときつく瞼を閉じても、どうしても逃げられない。 眼の奥に深く焼き付いてしまった青。 私など、どれほどのものであろう? あの絶望。あの恐怖。 青空なんて無くなればいい、と心の底から思っていました。 おおげさに聞こえるでしょうけれど、当時の私にはまったく差し迫った問題だったのです。 今は、青空を見上げて、憎々しさを感じることはなくなりました。 それは一体なぜ、いつ頃からだったのか、定かではありません。 日々の中で少しずつ起こる変化が、きっと私を変えていったのでしょう。 もう上手に、あのときのことを思い出すことは出来ないけれど、 たまに、ああそんな風に感じていたことがあったと、ひとり噛みしめることもあります。 忘れたくはないのです。 なぜなら、あれは私の人生の中で、 きっとそう多くはない、希有な瞬間であったからです。 窓の外に目を向ければ、今日の青空は、きれい。 新歓ハイクで、奥多摩の河原に寝転んで、見上げた空も素敵でした。 ほんとうに、数年前の私からしたら、たいした変わりようです。 天気が移り変わるように、晴れの日もあれば曇りの日、雨の日だってある。 それときっと、同じことなのですね。 青い空ひとつ、 しかしそれを眺める人の心はさまざま。 ハローハロー、世界の皆さん、聞こえていますか。 今日もあなたが、元気であることを願います。 PR |


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