あの夏に──
何もかもが、ざらついていて、
熱くて、痛い、あの夏に
君を連れていく──

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1
待ち合わせに遅れる。
誰かを一時間待たせると、余命を一時間奪うことになる。小さな殺人だ。
祭りに集まってくる人たちを眺めながら、荒んだことを考えていた。
氏神が祀られているこの神社に、初詣のときしか訪れなくなって久しい。夏祭りも数年ぶりだ。
疲れるまで駆け回り、虫を追い、泥だらけになるのが仕事だった幼い時分は、毎日といっていいほど遊びに来ていた。明日もここに来る。明後日も、その次の日も来る。永遠に続くものだと信じていた。
あの頃見上げた鳥居はとても高く、大きかった。
背にしている鳥居は名前こそ大鳥居と呼ばれているが、高校生となった今ではそんなに大きく感じない。甘酸っぱい思いを噛みながら、薄暮にそびえる朱色の柱にもたれ掛かった。
人の流れも徐々に増えてきている。知った顔もいくつか通り過ぎた。誰が見ても待ちぼうけを食らっているのは明らかだろう。
力なく時計に目を落とした。もう三十分近く殺されている。
「ごめん。待った?」
歯切れの良い声に頭を起こすと、浴衣姿の美羽がいた。
妙な例えだが、美羽を見るたびに作りたての揚げ物を思う。
天ぷらかフライか、中身が何なのかはわからない。油切りは済んでいるが、十分に温かい。天ぷらなら、噛むと衣が弾ける鋭い音がする。フライなら、肌をこすれば引っ掻き傷ができそうな状態。
物心ついた頃から印象は変わっていない。我ながら突飛で馬鹿げているので、本人には伝えていない。
美羽は簡単に言えば幼馴染み、同じ時期に高くて大きな鳥居を共有した仲間だ。歳も一緒で、家が近いこともあり、この神社に通う以前からはじまり、小、中と兄妹のように歩んできた。
離れた高校に進学が決まった。宙ぶらりんの春休みを通過すると、お互い新しいすごろくの振り出しからになり、自然と疎遠になった。時折顔を合わせれば声をかけるくらいのことはする。もはやそれだけの関係だ。
先週たまたま近所の本屋で会ったときもそうだ。ただ、夏休みで時間があり、いつもは挨拶で終わるのがちょっとした立ち話になった。
近況を尋ね合い、中学時代の仲間たちの情報を交換し、間近に迫った夏祭りの話題にいつしか移っていた。小さい頃はよく一緒に行った。屋台の綿飴が好きだ。今年も花火は盛り上がるかな。次々並べられる毒にも薬にもならない言葉が少し寂しかった。
「久しぶりに行ってみないか」
話の流れで何の気なしに誘ってみた。断られたところで、特に後ろ向きの感情は持たなかっただろう。
「行こうか。いつにする?」
からりと揚がった笑顔があった。
大胆に遅れた登場にもかかわらず、美羽はそのときと変わらない見事な揚がりっぷりだ。蛍の絵が入ったうちわで顔をゆるゆると扇ぎながら、悪びれるそぶりもない。
「走ろうかと思ったんだけど、あんまり汗かきたくないし、この下駄に慣れてなくて」
足元に触れようと屈んだ彼女の襟首が目に飛び込んできた。髪を後ろでざっくり束ね上げ、むき出しになったうなじが藍の布地に映えている。
余命だの殺人だの、乾いたことを巡らせていた頭が涼しく潤った。
「民族衣装か。新鮮だな。高そうな生地だし、帯の色もいい」
「なにさ。褒めるんだったら、ガワじゃなくて中身でしょうが」
やっとのことで絞り出した言葉に、美羽は歯を見せながら、うちわで喉を突いてきた。
結局、三十分の余命を奪われたことになるが、たっぷりお釣りがくる。
それくらい今日の美羽はきれいだった。
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※ おわび ※
すいません。3000文字をメドに書いていたんですが、何を間違ったのか2万文字近くいってしまい、数回に刻むような内容でもないし推敲する時間もないので端折ります。
▼ダイジェスト
2.夜店で昔のヒーローもののお面を発見し、幼い頃一緒に遊んだ思い出の再確認。
3.金魚すくいでダイナミックに腕まくりする美羽に(自身は自覚なしの様子)、ドギマギする主人公。
4.しょぼいお化け屋敷で恐怖を共有。距離が急接近。両者何やらモヤモヤ意識し始める感じ。
5.花火大会開始。見物人が大勢いてじっくり見ることができない。小さい頃に隠れ家にしていた秘密の茂みの中に行く(この時点では打算なしの主人公からの純粋な提案)。
6.「わあ。すごい。きれい」。主人公限界突破、「美羽の方がきれいだ!」無理矢理ブチュー。
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6節末より再開↓
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「きゃ!」
悲鳴とともに両手で突っぱねられた。
体勢を立て直す間もなく左の頬に鋭い痛みが走った。平手打ちなのか、鉄拳制裁なのかはわからない。頭の芯がぐらりと揺れ、唇の余韻など吹き飛んだ。
よろけながらも、なんとか倒れないよう踏ん張った。しかし、一人よがりの鋳型で作ったシナリオの方はあっけなく崩れた。
7
もう花火は終わってしまったのか、この茂みにあるのは暗闇と自責の念だけだ。美羽は元いた場に留まったままのようだが、表情までは見えない。
静かだ。辺りで鳴いている虫の声と自分の息づかいが必要以上に聞こえる。
「美羽」
鼓動が落ち着くのを待って、小さく呼んでみた。
反応はない。意思表示としての沈黙だとすれば、重い攻撃だ。
「美羽」
もう一度呼ぶと、小休止だった花火が派手に再開した。
闇の中、色とりどりの光で美羽の輪郭が浮かび上がった。両手で握ったうちわで鼻から下を隠し、目だけを大きく開いている。肩がすくみ上がり、元々細身の体がことさら華奢に見える。
「急に……」
花火の音に消されがちな声が聞こえた。
「突然だから、ビックリし……」
言葉途中で弾かれたように美羽が寄ってきた。また殴られるのを覚悟して身構えたが、様子が違う。
鼻先まで迫った美羽がまじまじと顔を見つめてくる。腹が読めない。
彼女の目の中で数発の花火が踊った。
「やっぱり。血が出てる」
眩しいものを見る表情で美羽がつぶやいた。
その視線の先、痺れて熱を持っている左頬に手をやった。この暗がりでも、指先の濃い色がぼんやり確認できる。ただ出血と騒ぐほどではなく、かすかに滲み出ているだけだ。
さっきの強烈な一撃は、平手でも拳でもない。爪だ。
美羽は花火を頼りに、自分がつけてしまった傷を確かめていたようだ。
やはりこの娘は揚げ物。揚げたての固い衣に引っ掻かれた。
少しおかしくなって、鼻で笑ってしまった。
「笑うところじゃないでしょ」
目を潤ませながら、口元を力強く結んでいる。しばらくぶりに見る美羽の泣く直前の顔だ。下唇を突き出す癖も幼い頃と変わらない。
「あんな突然……わたし、初めてだったん……」
後半は言葉になっていなかった。
「ごめん。悪かった」
うつ向いて泣きじゃくる美羽の肩を両手で抱いた。
放っておくと一人でいつまでも泣いているが、構ってやるとすぐに泣き止む。そういうところも変わっていないことを花火に祈った。
美羽が落ち着きを取り戻す頃になって、頬がじりじり痛みだした。
「本当にごめん」
自分の浅はかさが爪痕に染み、改めて心から謝った。
「いいよ。気にしないで。急なことで驚いただけだから」
それが傷に粗塩を擦り込む行為と知ってか知らずか、腫れた目で微笑む美羽がいじらしかった。
完全に負けだ。
自然と二人並んで空を見上げる体勢に戻っていた。
どうやらクライマックスが近いらしく、花火の勢いが徐々に増してきた。河原の見物人たちの歓声がここまで聞こえる。
「わあ。すごいね」
美羽もすっかり明るさを取り戻している。強い娘だ。
夏の終わりを告げる夜空の演舞に心を奪われていると、不意に美羽が手をつないできた。凄まじい花火のおかげで、はにかむ顔が桃色に染まっているのがはっきりとわかる。
「だから、そう、いきなりじゃなくてさ……」
一層の盛り上がりを見せる花火をよそに、美羽が体をこちらに向けた。
「ちゃんと段階を踏んで……」
少し背伸びをし、目を閉じ、何かをせがむように唇を小さく尖らせている。
とてもきれいだ。
美羽は揚げ物。慎重に扱わないと衣がぼろぼろ剥がれていく、作りたてのデリケートな揚げ物。
優しく、優しく……。
8
酔った勢いで何人かに話したことがあるかと思いますが、上記のようなベッタベタな状況にたまたま立ちションしに入った茂みの中で遭遇するのが俺の長年の夢です。この後ちゃんと段階を踏んで「結べないから帯はダメー!」あたりまでいくのが理想です。
もちろん物音ひとつたてずに暗闇から事のなりゆきを見届けます。
優しく、優しく……。
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