今回も超短編小説でございます。
以前から題材にしたかった、マイルス・デイヴィスの名曲と
この季節と、そして今ハマっている夏目漱石先生の小説のような雰囲気を
コラボレートさせてみました。
ちなみに今読んでいる漱石の「虞美人草」、コレはかなりヤバいです。
複数の男女が織りなす会話の心理戦と、その合間の描写と言ったら!!
比較的マイナーな作品ですが、もし自分が文学部にいたら卒論にしてたかも。。
では、小説をどうぞ。
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風の強い日だった。
この時期になると、街の中に桜がちらほら見える。
あ、あの木は桜だったのだなと判ることが多い。
雨の中の桜を白黒で撮りたい、巧く時期が合えばいいのだが。 如何せん雨に桜である。難しいタイミングだ。 逃したら一年後になってしまう。 いや一年後も難しいかもしれぬ。
男がそんな事を考えていると女がやってきた。桜の小さな枝を持っている。
「そこに落ちていたの。風に吹かれて千切れたのでしょう」
枝に付いている小さな蕾は、少しふくらんで 今にも咲きそうな様子であった。
「やあ、これはもう咲きそうじゃないか。 さあ咲こうという所で千切れたな」
「ええ、水に差しておけば咲くでしょう。
それにしても蕾と言うのは不思議なものね。 ひとつひとつに力を感じるわ」
「こんな小さな枝でも力があるんだ、春の桜はすごいね。
桜の咲く時期に変人が増えるのも判る気がするよ」
女は少し声をたてて笑う。
「まあ、あなたは桜の時期じゃなくても変人じゃありませんか」
男がそうかい?という顔つきで片眉をあげた時、外で風がまた強く吹いた。
女が外を見る。
「あら、花びらがまっているわ」
「まっている」というのはおそらく「舞っている」の舞うだろうが、waitの待つでも悪くはないな、と男は片眉を上げたまま考える。
道に積もり、風に飛び、公園の池に浮かびながらー花びらは待つ。
「そうそう、良い曲を見つけたのよ、今日はそれを持ってきたの」
女がレコードを一枚取り出した。女はどうしてこう思考がころころ変わるのだろうか。花びらを堪能すればいいものを。
レコードの針が落ち、男が何かつぶやく声が聞こえた後、静かなピアノが流れ出す。「丁度この季節の朝の光のような、すてきな曲じゃない?」
そしてどうして女は黙っていられないのだろう。音楽すら堪能できない。
「まあちょっと黙ってい給えよ、ちゃんと聴けないじゃないか」つい我慢できずに男が言うと、女はまぁ、と言って黙り込んだ。
それは、楽器の音が緩やかに混ざり、そしてゆるい螺旋を描いて、朝の光の中を昇って行く風のようなジャズであった。男はちょうど桜の花びらが、風に混ざってくるくる回って飛んで行くところを思い出した。この時期にだけ見ることができる、風の形だ。風はいつもあんな風に螺旋を描いて吹くのだろうか。
女が黙っていられずに、また喋りだした。
「マイルス・デイヴィスのIf I were a bellと言う曲なのよ。
マイルスは鐘になりたかったのかしら」
男がまた片眉をあげる。
今度は「また喋りだした」というニュアンスだが、もちろん女はそれに気付かない。「俺は鐘にはなりたくないね。皆に叩かれたり揺すられたりしてりんりん鳴らされるのはご免だぜ」
「まあロマンのない人ね。すてきな鐘なら良いじゃない。私は小さな金の鐘なら良いわ。きれいな音が鳴るに違いないもの」
「そうして今みたいにりんりんうるさく喋るのかい」
そう言うと、女はロマンのない人は嫌いよ、と怒ってレコードも桜の枝もそのままにして、帰ってしまった。まぁいつものことだ。また何か見つけたと言ってはやって来るだろう。
男は女が置いて行った桜の枝を、小さなコップに水を入れて差した。咲いたらこれも写真に撮ろうなどと考えている。風がまた吹く。その音がする。マイルスはまだ鐘になりたがっている。
’If I Were A Bell’ Miles Davis Quintet - Relaxin' With The Miles Davis QuintetPR