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□■ ヒトの記憶:2
2007/04/27 09:00
人間の記憶をテーマにしているこのシリーズ。
今回はちょっと変り種を。

前回は酒によって記憶を失った友人をネタにしてしまったが、次のターゲットは義父、旦那の父である。
切羽詰まれば身内も平気で見世物扱い。アタイはそんな鬼嫁さ。

以下は、義父が体験した、ちょっと変わった出来事である。


この義父(以下、まどろっこしいので父)という人、普段は某山間部で木こりを営んでいる。
木こりといっても、森林組合に所属した上で、樹の枝を掃ったり伐採したりなどの作業を請け負っているのだが、当人を知っている私から見ると、いかにも「木こり」という名称が似合う人なので、人から聞かれると「父は木こりをやっております。」と答えることにしている。

実は、木こりをはじめたのは今から16~7年位前からのことで、それまでは家族と共に東京で暮らしていたのだ。しかし都会の暮らしに疲れてしまったのか、家族を説得し単身でその山あいの地へ旅立ってしまったのだ。
今は使われていない蚕農家を、月5000円で借り、家に手を加えようが畑を作ろうが何をしてもOK。2階の蚕部屋は広い広いアトリエに。そこで巨大な絵を描いたりオブジェを造ったりしている。
もちろん円満別居なので、義母も長期休暇のたびに滞在している。
我等にとっても、素敵な静養先になっている。孫との夏休みは、父にとっても毎年の楽しみになっているようである。



家は、文字通り山と山の間の集落にあり、朝、山を見上げると霧が立ち上り、近くの沢のせせらぎが聞こえ、気ぜわしい毎日を過ごしている人間にはたまらないスローライフを過ごせる空間である。

そんな環境を台無しにしないためか、父は「うるさいから」といって家にテレビを置かない。
実際、テレビなど無くても、庭先にはリスが来たり、キツツキがやってきて枝をつつきに来たり、沢のそばには沢蟹もいるし、全然退屈しない。
脳波は常にα波。仙人のような暮らしだ。

そんな父があるとき、美学校時代の友人と都内で落ち合って、ある人のパフォーマンスを見に行くことになった。
この、ある人というのも、父の友人である。父には、アーティストや舞踏家など、変わった人脈が豊富なのだ。
その時のパフォーマンスというのが、なんと「首吊りパフォーマンス」


なんだそりゃ。


って思ったでしょう。私も思いました。

一体何をどうしたらそういうことをやろうと思いつくのか。

私も良く判らないのだが、どうも舞踏の終盤に自ら首を吊り気味にして表情も鬼気迫って・・・というのが見せ場らしい。パフォーマンスの世界では、一ジャンルとして確立しているとかいないとか。

ま、とにかく、そのパフォーマンスを見ていていよいよ衝撃のクライマックス!というところで、事件は起きた。

パフォーマーが自ら首を吊るし上げ、顔も徐々に赤から赤黒い色へと変化し、目も血走っていく様を見ていて、父は自分がかなり興奮していることに気付いた。
(うわぁ、一体これからどうなるんだ!?)と思った時、何かがプツっと頭の中で途切れた。




「あれ、ココはドコ?」



次の瞬間、父が口にしたのは、フィクションの世界ではよく耳にするが、実際に口にすることは普通滅多にないであろうこのセリフ。自分がどこにいるのか、何しに来たのか、どうやって来たのか、まったく記憶にない。判らない。
興奮の極地に達した時、何故か父はその時点から前十数年間の記憶を突然失ってしまったのだ。



驚いたのは、一緒に来ていた友人たちである。

友人「どうしちゃったの?なに言ってんの?覚えてないの?」

父 「覚えてない。何でここにいるの?僕は何してんの?キミたちは?」

疑問符で埋め尽くされた会話を繰り返すだけ。


コレは一大事だと、友人たちは義母(以下、まどろっこしいので母)に連絡を取り、総合病院に救急で駆け込んだ。重病に違いないと思い、当然焦りまくる母。
しかし精密検査の結果、診断された病名は、



一過性全健忘。



いわゆる記憶喪失である。
頭部を強打するなどの外傷以外にも、精神的ショックなどで引き起こすことがあるらしい。


スローライフが仇となった。

どうも仙人には「首吊りパフォーマンス」はシゲキが強すぎたようだ。

医師に「何か思い当たる原因はありますか?」と聞かれしどろもどろになる母。
「”えぇ、実は首吊りパフォーマンスを”なんて言えるわけないじゃない!」と後になって父に怒りをぶつけていた。


重大な病気とは無関係で、まったくの一過性の症状だということが判り、一安心した母は発作中の父にいろいろ質問してみることにした。

母「○○(旦那)は今いくつだと思う?」
父「えー、まだ高校生だから、・・・じゅう・・・いくつだ?」(正解:当時29歳)

母「△△(旦那の妹)は?」
父「中学生だっけ?」(正解:当時27歳)


母「えー?じゃぁ、○○が結婚したことも覚えてないの?」
父「結婚?したっけ?いつ?」


母「じゃ、孫は?」
父「孫はいる。□□(ウチの息子の名前)。」



わかり易すぎな父。




ネットで症状などを検索し調べてみた。
①発作中は、新たな記憶を形成出来なくなるため、同じ質問(ここはドコ?とか)を何度も繰り返してしまう。
②一定期間の記憶がすっぽりと抜け落ちる。まだらボケではない。
③発作の間の出来事は記憶できないので、発作後には忘れてしまう。
などが顕著な症状として挙げられていた。


しかし、父は、発作が治まった後でも、この不思議な出来事を覚えていたし、また息子の結婚は忘れていたのに孫のことはバッチリ覚えていた。
他の体験者のブログなどを読んでみても、やはり皆一様の症状ではなく、人によって様々なケースがあるらしい。


人騒がせなこの事件も、一晩寝て起きたら一件落着。父の記憶はすっかり元に戻っていた。
父にとっては、この体験は非常に不思議で面白かったらしく、いろんな人に体験報告をしていたという。


記憶するという行為は、下敷きを敷かないノートに鉛筆で書く作業のようなものかもしれない。ササッと消しゴムをかけても、ぐいぐい書いたものはなかなか消えずに残っているのだろう。

「おじいちゃんねー、キオクソウシツになっちゃったの。ぐふふ」と、トロけそうな顔で孫に話しかけている父を見て、ヒトの脳がいかに複雑怪奇であるかを思い知ったのだった。


                   おしまい。
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