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□■ 結論
2007/07/23 00:43
「あの人、重病らしいわ。今日、向こうの親族から泣きながら電話がかかってきて
子供達にあの人に会って欲しいって言われたわ・・・。○○病院に入院してるそうよ。」
「え・・・そう・・・」と彼は答えた。

この電話があった日から彼は電車から見える○○病院を見るたびに
なんとも言えない複雑な気持ちを感じていた。
「あの病院にあの人はいるのか・・・」彼は他人事のように心の中で思った。
彼はあの人ともう何年も会っていない。10年、いや、もう20年近く会っていないのだ。
顔を思い出すこともできない。彼が思い出せるのは昔、あの人が母親を殴ったこと、
あの人に無理やり「お母さん、キライ」と言わされたこと。
こんなこと言いたくなんかなかったのに・・・
母親のこと本当は大好きなのにあの人が怖いから・・・
言わないと自分も何されるかわからないから・・・
当時まだ幼かった彼は抵抗することもできず、言わざるをえなかった。

彼の言う“あの人”とは自分の父親のことだ。
彼の両親が離婚してから20年近く、これまで1度も父親に会いたいと思ったことがなかった。
幼いころの父親の家族へ対する暴力を忘れたことがなかったからだ。
母親、彼、彼の姉、そして祖母、これが彼の家族。彼はこれ以上の家族はない、
この家族だったから自分は幸せになれたのだと心から思っている。

彼が最後に父親の顔を見たのは小学生低学年の時だ。
学校への登校中待ち伏せをされ、突然の出会いに、なにかされるかもしれないという恐怖と、
怖かった時の思い出がフラッシュバックして泣きじゃくっていた。
幸いその時は何もされなかったけれど、これが父親に会った最後の時だ。

これまでの彼の人生の中に父親はいないのが当然だった。
また今後一生、彼の人生の中に父親が登場してくることはないと思っていたのに、
突然の電話でいきなり登場してきた。しかもこんな形で。彼は困惑するしかなかった。

あの人から見ると、彼は今も自分の子・・・でも彼から見ると・・・血はつながっている。
だけどそれ以上でもそれ以下でもない。

彼には電車から見える○○病院がものすごく遠い存在だった。
この20年間、居場所も生きてるのかすら知らなかったのに、
今はあそこに重病でふせっているという。
連絡とって来たということはもう先が短いのかもしれない。
「世間様は会いに行かないなんて薄情だ、こんな時くらい許してあげればいいじゃないかと
言うかもしれない。でも、20年たった今、許すも許さないもない。
自分の人生に父親は存在しない、だからあの人と自分自身の関係を
どう定義づければいいのかわからない。元気だったとしても知りたいと思わなかった。
だからできればこういうことも知らない方がよかった。
でも実際、知ってしまったけど・・・会いに行きたいという気になれないしならない。
非情なことなのかもしれない・・・でもどうしようもない・・・。
もちろん、元気になってくれればそれでいいと思う。
でももし死んでしまったとしても、それを知りたいかどうかわからない。」

数日後、父親が亡くなったという知らせが入った。
結局、彼は父親に会いにいかなかった。でも自分はこれでよかったんだと思ってる、
そしてただ冥福を祈ることが自分が唯一できることだと彼は言った。
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とある知人の話。
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