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□■ トラウマ
2008/08/06 19:19
夏が来ると気が重くなる。

セミが嫌いだ。

怖い。



世間一般で「嫌いな昆虫」第一位といえば、文句無しにミスター・G(ゴキブリちゃん)だろう。

世界中で、日々新種の昆虫が発見されているそうだが、常に彼らは、人に嫌われる昆虫部門のディフェンディング・チャンピオンだ。間違いない。
我がダンス部の大五郎君も同意してくれるだろう。もちろんワタシも大嫌い。

Gの他にも、かつて治面地君が紹介してくれたフナムシ、カマドウマなど。きゃつらは小っさい体で、多くの人をかくもたじろがせる(正確にはフナムシは昆虫ではないですね)。彼らは何も悪いことはしてないのだが。




しかし、ワタシは声を荒らげて言いたい。

セミが嫌いだ。

彼らを嫌う、負のパワーたるや、Gへのそれと引けを取らない。

ちなみにワタシが嫌うセミは、アブラゼミのことである。



何故彼らを嫌悪するのか。


まず、あのフォルム。

カサカサした黒味の顔面のボリューム。両サイドにある丸い目玉が妙なヒューマニズムを感じさせる。
額に皺を寄せたオッサンのようだ。

そしてあまり透明感を感じられない羽。

ウネウネとくねる、蛇腹状の腹。命尽きる頃に、白くなっていく様も痛々しい。



そして、その居住まい。

彼らは、人がちょっとでも近づくと、まるでこの世の終わりが来たかのように大慌てで飛び立つ。
「ジジッ!!ジジジッ!!」と大騒ぎしながら。

しかも必ず、絶対、人にニアミスしていく。酷いと羽先が触れるほどに。

そして何やら液体までかけられる始末。

なぜ?人を警戒して逃げるんじゃないの?

だったら迂回しようよ!もっと進路を考えようよ!

お互いの平和のため、彼らには住み分けを提案したい。本気でそう思っている。


「セミなんて、道を歩いているときとかにちょっと注意すれば、そんなに気にならないんじゃない?」と思ったあなた、違うんですよ。世の中には、不遇な環境に置かれている、哀れな人間もいるのです。

我が家は、強烈なセミの繁殖場らしいのだ。

家の玄関は、庭の裏側になっている。この時期は滅多なことがない限り庭には侵入しないようにしているのだが、庭へとつながる通路の植え込みの枝葉に、無数のセミの幼虫の抜け殻を見て絶望的な気分になるのは毎度のことだ。この分だと庭はもっともっとエライことになっているに違いない。セミの天国、ワタシの地獄となっている庭の光景を思いやり、毎年蒼色吐息を漏らすのである。

この時期になると、玄関の扉を開けるのは恐怖の瞬間である。

開けるや否や、門の脇に立つ木から、彼が飛び立つ。けたたましく。

毎回だ。必ずヤツはその木にいる。

シーズン中は、こちらも警戒しているから心の準備があるけれど、毎年初っ端のニアミスには心底ビビらされる。このビビりが夏の訪れの合図となっていると思うと悲しい。



彼らを嫌うようになった切っ掛けがある。

ワタシが小学校高学年の頃の話だ。ある時、友人から子供向けの薄い冊子を手渡されたのだ。
何の冊子だったか、全体の内容も出所も全く覚えていない。
友人はそれに載っている一編の漫画を指し示し、「スンゴく気持ち悪いから見てみて。」と私に言った。
7~8ページくらいのボリュームだったと思うが、もう、今でも忘れられない。

その漫画は全体的にブルブルと震えたような線で描かれ、暗く陰湿な雰囲気だった。

主人公の小学生「セミ男(せみお)」はいじめられっ子で、日々執拗な攻撃を複数のいじめっ子たちから受けていたのだが、夏のある日、いじめっ子たちはいつものやり口では飽き足らず、押さえつけたセミ男の口に、生きたままのセミをねじ込み咀嚼させたのだ。
多大なダメージを受けたセミ男は、帰宅後そのまま床へ就く。翌日起きると、なんと体がセミ化しているではないか!
おぞましいセミ人間となったセミ男は、いじめっ子たちへと凄惨な復習劇を繰り広げてストーリーはお終い。

「ハエ男」ならぬ、「セミ男の恐怖」である。


正直、主人公の名前が「セミ男」だったかどうかはあやふやである。そんな、いかにもこれからセミがらみで一悶着ありそうだぜ的な名が付けられていただろうか。
でもワタシの中でそいつの名前は「セミ男」なのだ。ご了承いただきたい。


とにかく、セミを口に入れられてカミカミごっくんさせられている時の描写が凄まじく気持ち悪かった。
読みながら、ワタシが顔を歪ませて精神的に酷く打撃を受けたのを見届け、友人は満足そうだった。
「それあげるから」と言って、友人は立ち去った。

手渡されたのが帰り道だったこともあり、私はそれを捨てるに捨てられず、家に持ち帰った。

それからしばらくの間、そのおぞましい世界はワタシの部屋の片隅にあり続けた。
その冊子の周囲には毒ガスが漂っているような錯覚さえ覚えた。
捨てると呪われそうで怖かったが、その年の大掃除の時に意を決して捨てた。


要は、その冊子を見たことでトラウマになってしまったのだ。

それ以来、セミを見ただけで、やつらを口に入れてカミカミした感触をリアルにイメージをしてしまうようになった。



とは言うものの、ワタシはその経験を、消し去りたい過去とは思っていない。

人間、トラウマの一つや二つや三つ、あって当然なのだ。

そういった心の傷も、その人となりを形成する、重要な要素だと思っている。


今思えば、昔は平面媒体のおぞましいものが結構あったような気がする。
怪奇漫画とか、心霊雑誌とか。
今も発刊されているのだろうが、心霊雑誌は唯一「ムー」が残っているだけだと聞いた気がする。
怪奇漫画だって、ほとんどがレディースコミックで、子供向けの物は今はないのではないか。

2次元の世界には、独特の世界がある。
自分の速度で読む分、しっかりとイメージが焼き付けられる。
しかも、その恐怖をもたらす物体が手元に残っていて、ページをめくるだけでいつでも見られる。
映像媒体との大きな違いである。


図書館の隅に追いやられている心霊本をこっそり見ていた頃を思い出す。

エクトプラズムを口から出している写真を見てドキドキしたこと。
「人体の自然発火はあるんだ!」と確信したこと。
「赤ん坊少女」たまみちゃんを生み出した楳図かずおは本当にヤバイと思ったこと。



今の子供たちの身の回りからは、このような教育上役に立たないものが遠ざけられてしまっているような気がする。

役に立たないものがあるから豊かなのではないだろうか。


セミに悩まされ、鳥肌を立てながら、何故かノスタルジックな気分に浸る今日この頃なのである。




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