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2007/01/02 03:51
あけましておめでとうございます。
さっそく前回のつづきをさらしたいと思います。
そう、おセックスです。
しかし実際、チンコもマンコも使わずその内容のブログを書いたことに対する評価が、いまいち低い気がする。この苦労をもう少しわかってほしいものです。
で、みなさんどうっすか?あっちのほうは。
そうすか。
もうすでに姫始めの儀を執り行っていますか。
そうすかそうすか。
いい加減にしてほしい。
そんな悦楽のみを追及するような、だらしないセックスを垂れ流すみなさんに猛省をうながすべく今回はある夫婦のはなしを書こうと思います。

その夫婦には少し歳の差があり、奥さんが年上のいわゆる姉さん女房。
仲はとてもよく円満な夫婦生活を送るふたりは、ひとつの問題をかかえていました。
不妊。
数年来、この夫婦は子供をさずかることを切望しながらなかなか出来ませんでした。
私もそうですが、みなさんもけっこう、こさえてますよね?こども。
まぁそれはいい。とにかくこの夫婦には出来ないでいたのです。
未成年者の中絶が増加傾向にあるなかで、こころから望んでいるふたりには訪れない。いつもながら神の采配には疑問が残ります。
そして奥さんは、あせっていました。
年上の奥さんは、もはや高齢出産と定義される年齢にさしかかっていたのです(現在の定義は35歳。以前は30歳以上から)
医療の進歩により平均寿命が伸び、社会環境の変化にともなって晩婚化が進んでも女性の妊娠適齢期のみはむかしからあまり変わっていないのです。
いうまでもなく、若い方がいい。
高齢出産を行う母子にはさまざまな弊害があり、歳をおうごとにその危険度は増していくのです。
この奥さんは何年も前から不妊治療を行っていました。
不妊治療とはどういうものか。
あえてくわしくは書きませんが、とても大きな痛みをともなうものもあり、大変なものもあるらしいです。
痛みに弱くいまだに注射にも難色を示すタイプの私は、内容を聞きちぢみあがったものです。
治療をはじめてまもないころ、一度奥さんと話したことがあります。
その表情には希望がありました。
つらいであろう治療の内容を、笑いをまじえたりして話してくれたものでした。
たとえばひとつの方法がうまくいかなくても、あたらしい治療法に挑戦することで可能性がひらけていくように感じられていたようです。
楽観視も、していたのかもしれません。
しかし、思わしい結果がでないまま、何年もの月日がながれました。
毎月ごと、良い兆候があらわれたと思えば落胆のくりかえし。
着床のきざしに「今度こそ!?」そう期待が大きくなればなるほど、悪い結果は何倍もの揺り返しとなってふたりを失望がおそうのです。
痛みをともなう治療、それ以上の精神的な苦痛。まわりのプレッシャーもあったかもしれません。薬の副作用も出たといいます。
それが、何年も続きました。
病院に通ううちに知り合った、同じ悩みをもった仲間もできたそうです。
しかし、ひとりまたひとりと治療に成功していくのを横目に、素直に祝福してあげられない自分に自己嫌悪したり……
出口の見えないトンネルをひたすら走りつづけているような日々。
そんな治療生活に疲れてしまったのか、奥さんは自分を責めることもありました。
「私じゃなければ」
やはり自分が年上であるということを、周囲が思う以上に奥さんは気にしていました。
旦那さんは長男でした。
その親世代には、いまだ子供を持つことこそがしあわせの必要条件であると信じているひとも少なくありません。
悪気もないであろうが、こころない周囲のプレッシャーに、精神的に不安定になることもあったようです。
そのたびに、旦那さんは防波堤となって奥さんを守っていました。
そんな夫の気遣いを感じるからこそ
「私じゃなければ」
奥さんは、いっそう強く思ったといいます。
若い彼には他の道もあるのかもしれないと。
「もし、そうなってもいいの。黙って身を引くつもり。それは……」
それは?
「最初から心の中で決めている」
かなしい決意をまえに、かける言葉もみつからないでいると奥さんはこう続けました。
「それでもやっぱり、彼の子供がほしいな」

年下の旦那さんも「治療がつらそうだけど、自分はなにも変わってあげられないから」と言って、なんでもサポートし献身的に協力してがんばっていました。
自分の子供を生みたいと言ってくれる、男にとってこれにまさる愛のかたちがあるだろうか。
ふたりは支えあい、その後もつらい治療にも耐えていきました。

それからしばらく時がながれたある日、いまだ子供をさずかることはありませんでしたが、奥さんはでも、どこかふっきれた様子で笑っていました。
そのとき言った印象的なことばがあります。
「街で見かける子供たちやテレビに映る赤ちゃん、もう世界中の子供のたちがまるで自分の子のようにいとおしいの。今まではどちらかというと子供は苦手だったのにね」
おそらくもう、こころのどこかであきらめてしまったのかもしれません。
なにかを受け入れたひとのみが持つ、すがすがしさがあったように思います。
「やばいなー、ベビーカーにフランス人形を乗せて街を徘徊したりして」
私は冗談めかしくいいました。こんなときなんて言えばいいのか。
私の少し困った様子を見透かしたのか、奥さんは同調するように
「いいね。そうしよう。白いワンピースに裸足で。狂女きどりで」
ハハハと力なく笑いあったあと、奥さんは視線をはずし、すこしの間遠くを見つめていました。
長い治療生活を思い出していたんだと思います。
「でもね」
でも?
「不妊治療はつらかったけど、その間で自分の選んだ夫がホントにすばらしいってわかったから幸せよ」
幸福にはいろいろなかたちがあり、そこへ至る道すじもやはりさまざまです。
私は、さしたる苦労もなく子供をさずかりました。
しかし、結果はご存知の通り。
いろいろな人生があるものです。
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