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□■ 覚悟
2007/07/07 09:00
最近、新聞、テレビなどで憂鬱になるような事件などを見聞きすることが多い。

いや、以前から凶悪事件は多発していたのだろう。見聞きしたときに受けるダメージが強くなっただけなのかもしれない。


少年犯罪や、子供が被害にあった事件に対しては殊更強い。
自分が子供を持つようになったのも要因の一つだと思う。


先日、バラエティー番組を見ていたら、少年法は無くすべきか否かで論議していた。
犯した罪に対して懲罰が軽すぎる、14歳以上は大人と同じく実名を公表し、裁判の後に懲罰を受けるべきというのが賛成派の意見。

いやいや、まだ未熟な少年たちに更正のチャンスを奪ってどうする?そういう風に育てた周囲の環境にこそ原因があるのだ、厳罰化は安直であるというのが反対派の意見だったと思う。


反対派には現職の議員たちが何人かおり、「じゃあ何でも死刑にすればいいっていうんですか?!」「罪を犯した彼らにも事情があるんですよ!」といきまいていた。


いつもは騒々しくて夕食後には不似合いなこの番組を敬遠していたのだが、見入ってしまったのはテーマが少年法だったからだ。気になる裁判の差し戻し審も時を同じくしてちょうど行われていた。


当の私は賛成派。
数年(少年院では1~2年)で出所してくることイコール社会復帰、更正に繋がるとは思えない。凶悪な犯罪を犯した子の場合は特に、そこまでに至る過程を慮る必要があると思う。だからこそ、社会に戻るまでにはそれ相応の道のりが必要なのではないか。刑罰を与えないというなら更正させるシステムを慎重に作るべきだ。だが今はそれが不十分といわざるを得ない。

しかも、一部の犯罪においては更正させる、および更正したと判断するのが困難な場合もある。性犯罪・快楽のための殺人などがそうだ。少年法によってそういう犯罪者たちの実名が伏せられている以上、我々が自己防衛をする手段はない。


そうこうしているうちに番組はヒートアップ。出演者が熾烈な舌戦を繰り広げている。

驚いたのは、少年法の是非云々より、反対派にいた現職の野党オバサン議員の言葉。


「もし自分の身内が少年の手にかかり、少年が数年で出所してきても同じ主張が出来るか?」という賛成派の意見に対して、

「あなた、自分の子供が犯罪者になるかもしれないとは考えないんですか?もし自分の子供が死刑になるとなったらそんなこと言ってられませんよ?」と鼻笑いで言っていた。


果たしてそうなのか?
自分の子供が人を殺めても、やっちゃったものはしょうがないで済ませられるものなのだろうか。
まだ未熟だという理由で、何をしても無かった事で終わらせていいのだろうか。自分の子供だからといって。

未熟だからこそ、親が社会のルールやモラルを教え込んでいかなければならないと思う。
物事の分別がつかない幼い頃から、悪いことは悪いと言い続けていくのが親の役目なのだ。
そしてもし、子供が人の道に外れた行いをしたら、親は罪を同じく背負って生きていかねばならない。
ルールに則って厳罰に処されても、それは当然のことである。
それが親の”覚悟”ではないのか。

議員も、懲罰よりも更正を、と言うならば、更正させるシステム作りに力を入れるべきだと思うのだが、とてもやっているとは思えない。


偉そうなことを書き連ねてしまったが、とにかく、現職の議員があのような発言をしたことに驚いてしまったのだ。
こんな人が議員かよ・・と思ったが、びっくりするような発言をする議員なんて、考えてみたら珍しくともなんともなかった。



斯く言う私も、たいした親ではない。

子供の、足りない部分にばかり目が行き、ゆとりを持って育てることが出来ず、落ち込むばかりの育児生活である。

ただ、子供が生まれ出でてきて産声を上げたときのことをよく思い返す。

まず、「アタシは死ねない!」と思った。このか弱い存在を是が非でも守っていかねばならないと思った。
そして、この世に社会の一部となる一人の人間を生み出したことを重く受け止めた。この子の行いは親である私に責任がある。

また、命よりも大事な存在が生まれるということは、同時にそれを失う恐怖も生まれるということ。
子供を生み育てるには覚悟がいる。




しかし、最近、子供を放っておく親が多くて嫌になる。
ファミレスで母親同士喋ってばかりで子供が店内を走り回っても商品をいじっても注意しない親。子供が人に暴言を吐いても、たしなめない親。
いったいどういう了見なのか。自分の子供さえ良ければいいのか。いや、自分さえ良ければいいのではないか。
そういう「放任主義」の仮面を被った、親の自分本位主義や無責任が、子供の社会性を失わせていたらそれはとても不幸なことだ。

子のやることにに禁止ばかりし続けていると、その子の自立心や個性が失われると言う人がいるが、ルールやモラルを教えることと個性を否定することは全くの別問題だ。第一、ルールを知らずしてきちんとした社会生活が送れるのだろうか。社会生活が送れなかったら個性もくそもない。ルールを教えられたくらいでつぶれてしまう個性ならつぶれたほうがいいと思う。


政治家は社会を良くするのが仕事。親は子をしつけるのが仕事。

件の議員も、無責任な親も、もっともらしいことを主張するくせに、義務を果たしていないという点でとてもよく似ている。




と、結局日ごろの鬱憤をぶちまけただけになってしまった。

そして書いていて、自分がかなりの悲観主義であることが分かった。
余裕のなさに反省しきりです。


七夕なのに、全然ふさわしくない話題ですね。
こんなに堅苦しく身構えずとも、しっかりと子供を育てている人は沢山いる。
ゆったり、穏やかに、かつポイントを抑えた親になりたいものであります。



(みわこさん、ごめんなさい。例の話は次回に必ず載せますね。)

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