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□■ 「夏の思ひ出」
2008/06/05 01:54

 



人の記憶というものは、本当に不思議なものだとつくづく思う。

例えば自分が3,4歳の頃の記憶…。

九州へ家族で旅行へいったなんて事は、ほとんど憶えていないのに
その時車の中で、チェルシーの空箱でカニの工作を作って遊んだ。
なんて事が、妙にくっきりと憶えていたりする。

断片的に、異常なほど細部まで、色、匂い、空気感・・・。

それらが脳のどこかに、しっかりと張り付いているのだ。


僕の脳の中に、しっかりと張り付いて剥がれない、ひと夏の思ひ出。

それは色あせない。
匂いまでくっきり憶えている。

ただ、細かい事は全く定かではない。間違いがあっても、気にしないで頂きたい。
これはひとつの、ファンタジーである・・・。

 

 




よく晴れた、夏の日だった。

真っ青な空に白い雲、という絵に描いたような夏の日に、僕らは国分寺の駅に集合した。

僕は数週間前、ムサ美内では競争率の高い夏休みのモデルバイトに当選し、
その賃金として受け取った資金を握りしめ、意気揚々としていた。

当時の僕にとって、夏合宿にかかる資金が しめて7万円とは、これはとても手痛いことだったからである。
心配事の一つが消え去った僕は、多少ハイになっていた。

やがて、駅には部のメンバーが一人また一人と集まってきた。
皆 心なしかハイになっている様に見えた。


僕は当時、だいぶダンスにはまっていたと思う。

しかしその実、まだこの「ダンス部」という団体には、警戒心をほどいていない時期ではあっただろう。

「この人達は、自分をプラスへ導くのか、それともマイナスへ導くのか?」

「怪しいキャッチセールス紛いのものに、引っかかってしまったのではないか」

という不安があった。

無理もない。

なにしろあれよあれよという間に すべての事が、そうめん流しのように流されて行くのだから…。
この人達の 「雰囲気で押し流してしまう力」 はハンパじゃない。
断りたくても、断らせはしないスゴ腕揃いである。

幹部代の そーださん、あーさんは、最も力を持つ二人だった。
ほとんど二人でしゃべり続け、いつの間にか二人のペースにどっぷりはまってしまっているタイプだ。

その二人を補佐する周りの力がまた凄まじかった。
四年生のHtyさんは どーんとしていて カリスマ的な存在感があった。
モロさんは二年生なのに四年生なみの存在感だった。
みのりさんの押しの強さも 驚異的だった。

気の弱い僕にとっては、到底どの人が相手でも、とにかく雰囲気的に断れない人達ばっかりだった訳である。


そんな僕の不安な気持ちをよそに、この夏合宿出発当日に、集合場所に現れた一年生は、

森田、 ジメ、 ヒデキ、 ザッキー、 みっくん、 ゆふこさん、・・・その他女子数名・・・。


ジメ、森田、ヒデキ、ザッキー、そして僕 のメンバーは、もうすでにかなり交流を深め、しょっちゅうジメ宅に集まっては、朝まで 飲んで、歌って、語り合って などしていた。
あとから入って 少し距離を置いていた みっくん(後のみくを)は、この時まだ同期の飲み会にもめったに顔を出さず、それほど はっちゃけていなかった。

皆、ダンスには はまっていたように思う。(ゆふこさん以外は。)

しかし、ダンス部に対するスタンスは、皆それぞれだった。

森田は、ダンスが上手かった。この時点では相当ダンス部にもはまっていたが、のちに油絵に集中するため部を去ることになる。

ジメは、皆の溜まり場のオーナー。一番人づきあいが上手く、ダンス部に最もなじんでいたのは彼。

ヒデキは、ジメと同じ高校の出身で、いつも岐阜弁でジメとじゃれあっていた ひょうきんな奴。

ザッキーとヒデキは同じアパートに住んでいて、しかも同じ建築科でなかよしだった。
そしてやはり同じ建築科だったあーさん、そーださん、モロさん達と、本当によく行動を共にしていた。

ザッキーはものごし穏やかなナイスガイだったが、のちに家庭の事情でムサ美を去ることとなる。

みっくん(後のみくを)は、この時点ではナゾの人物。
この夏合宿以降、数々の爆笑エピソードをふりまき、じょじょにそのキャラクターをあらわにする。

ゆふこさんは、この夏合宿の割と直前に入部したのだが、飲み会を通じて、恐るべき速さでこのダンス部になじんでいた。
なんでもあーさん、そーださんの繰り出す下ネタに、もの凄い喰いつきで応じ、その場で意気投合したとかしないとか…。

その時の僕のスタンスは、どっちかというと みっくんサイドに近いかもしれない。
同期の仲間で集まるのはとにかく好きだったが、
どちらかというと人付き合いの良い方ではない。
当時はまだ、油絵に対する情熱も頑なで、 肌身離さずクロッキー帳を持ち歩き、周りの場の空気も気にせずスケッチにいそしむ。そんな奴だった。
そーださんは、僕によく こう言っていた。
「大ちゃんの事 オレまだ良く分かんないんだよなー。」


ともかく、そんなさまざまなスタンスを持った人達は、電車に乗り込み、一路 千葉、内房線、岩井海岸へ向けて、出発していった訳である。




ムサ美ダンス部の夏合宿は、その年の前までは、長野県(でしたっけ?)の山の中で行われていたそうである。
その年、合宿場所は初めて、海!にその舞台を移された。
初めての僕らにとっては、知る由もないことだが、先輩も含め皆ハイに見えたのは、
きっとそのせいなんだと思う。

海!海!海!!
途中の駅で単線の通過待ちで、10分ぐらいの停車があった時も、みんながやけにはしゃいで、
ふざけあっていた。


岩井の駅を降りて、駅前通りを真っ直ぐ歩くと、国道に出る。
その国道を右へ曲がれば、現在、皆におなじみの「澤金」がある。
その国道を左へ曲がって、10分ほど歩いた所に、その場所はあった。

その名を 「永井荘」 といった。

とにかく 熱い、熱い夏だったように記憶している。
練習は、厳しかったが、楽しく、和気藹々と進められた。
記憶しているのは、

永井荘の体育館は床がたいへん でこぼこしていた事。

練習を終えて食った、メシの味が、異常にうまく感じられた事。

風呂あがりに つっかけを履いて、「カラン コロン」と音を立て、
体育館に練習に向かう途中、 女子風呂から聞こえてくる女の子達のしゃべり声、笑い声に、
軽くときめきを感じた事。

等々、

本当に断片的にしか出てこないのだが、


ある午後練が終わり、食堂で数人がくつろいでいた夜の時間だったと思う。

僕の中で忘れられない出来事が起こったのは・・・。

僕は確か、あーさん、そーださん、ヒデキ、もう一人ぐらいいたかな・・・、というぐらいの面子で、リラックスした状態で、バカ話をしていた。

そこへ、思いもかけないタイミングで、巨大な、黒光りする、あの忌まわしい容姿をもった『奴』は、やってきたのである。

                             ・・・・・・続く。








 

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