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□■ 記憶について考えてみた
2007/02/01 00:17
 
 ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね。
 いや、ぼくは何だかすべてを忘れてしまうと言った方が正確だろうね。君はぼくのようには多分忘れないし、他の人々もきっとぼくのようには忘れないだろう。多分、きっと、みんなそれぞれの容量の記憶力と忘却力を持ってそれぞれ忘れているんだろうね。……

 岡崎京子作『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』より
  





 今年に入って最初の一月も、既におしまい。さぁ、二月が始まりました。ときのはやさに、そら恐ろしささえ感じる今日この頃です。
 大学に入って、ダンス部に出会ったのがついこの間のように感じられるのに、もうすぐ私は四年生になって、就職活動もそろそろ始めねばなりません。(リアルだ!)必然的に、自分の将来について、以前より真剣に考えるようになりました。
 ここで皆さんにおたずねしたいのですが、将来について考えるとき、よく過去のことも一緒に思い出しませんか?
 それは、過去の出来事を未来に対する教訓にしようという心の働きもあるでしょうし、単純に私がロマンティストなせいかもしれません。私は、過去に対してとりわけ懐かしさと親しさ、両方を抱いて思い出すタイプです。しかも、昔のことを鮮明に覚えていたりもします。
 特によく覚えているのは、小学校四年生から六年生にかけての記憶です。たとえばその頃住んでいた田舎町の風景の映像を、私は実際、自分がそこを歩いているように今も思い出せるし、町の地理も覚えていて、地図にして書くこともできます。それから、当時の家の両親の部屋の西窓から見えた夕日が不気味なほど真っ赤で大きかったことや、中学受験のために通っていた家庭塾から、先生に怒られて、傾斜60度くらいのきつい坂道を泣きながら登って帰ったときのこと(よく宿題をやらずに行っていたので、怒られるのは当然でした)。それと、家族でお鍋をしたとき、きょうだい4人の中で自分一人だけがごまだれではなくポン酢を選んでしまったときのこと。妙な疎外感に、泣きそうになってしまったのでした。
 他にもいっぱいあるのですが、こうやって思い出すと、当時抱いていた細やかな感情まで現在に迫ってくるようで、胸が詰まりそうな、不思議な感慨に襲われます。辛い出来事を思い出すと、今にも口の中がしょっぱくなってきます。過去と現在の自分はけして同じ存在ではないのに、ふしぎですね、記憶は、体のどこかに奥深く染み付いているのですね。
 けれどもその一方で、記憶は非常に曖昧でもあります。私は過去の出来事を公正に覚えているとも限らず、上記に挙げた出来事も、もしかしたら私が都合よく解釈して実際の事実をねじ曲げているのかもしれないのです。昔私と同じ出来事を共有したした人に尋ねてみると、そこには十人に十通りの答えが返ってくることでしょう。こんなことを言い出すときりがありませんが、必ずそれは「あり得」ます。記憶なんてひとりひとりの主観ですから、言ってみれば当たりまえですが…
 過去を懐かしんで、過去を要領よく忘れて、過去を都合よくねじ曲げて。ちょっと意地の悪い表現だけど、でもそういう選択を連続して行いながら、きっとみんな、未来に向けての準備をしているのかもしれません。…しかも無意識的に、それを私たちはやってのけてしまうのです。そういうずうずうしさ。そういうたくましさ。悪くはないけれど、少しの罪悪感も感じます。それと、いとしさも。
 にんげんてずぶといな。でも、はたしてそれだけの感想で終わっていいのかな?
 
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