※前回までのあらすじ
叔母の通う英会話教室の講師であるアメリカ人女性ロクサーヌ。
群馬県から神奈川県藤沢市へ、夜逃げの引越をする。
その引越を手伝う私、
やっとのことで荷物をクルマに積み込んだところ。
その夜のうちにこのミッションを完遂せねばならない。
時間は既に8時半をまわっていた。
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準備も整い、いざ出発である。エンジンを始動し、アパートの駐車場から混雑も治まりクルマもまばらとなった県道にすべりこむ。
高速道路インターチェンジのある幹線道路に出るまで、しばらくの間ゆるやかなカーブが続く。みちなりに減速・操舵・加速が繰り返されるが、その挙動は常より緩慢だ。
「こりゃぁ、、重い・・・」
大量の荷物と三人の人間を載せて走る羽目となったクルマの苦痛と悲鳴が、ハンドルやアクセルブレーキを通して伝わってくるかのようだ。
「勝春、安全運転で行こうね」
制動距離が長く車間は詰まり気味、エンジン音も高い。心持ち不安そうに叔母が言った。
「アーユーオーライ、ロクサン?」
続けて後ろを振り返り、ロクサーヌに声を掛ける。
「ンッフン?、ザッツオァケィ。」
彼女は“え、私?大丈夫だけど?”とばかりに答えたが、バックミラーに映る彼女は段ボールの山と無理矢理詰め込んだ自転車の前輪との間にそのマッシヴな身体をなんとか収めているといった状態。そんな彼女を気づかう叔母も、その足元に置かれた袋詰めの荷物にところ奪われナナメ座り。
本当に大丈夫なのか?という感じだが、「ギブアップ」と言われても致し方ナッシング。
その中でドライバーである私のみが然るべきスペースを保った空間でゆうゆうと座っているわけであるが、決して心中まで安楽なわけではない。クルマのゆれに合わせてギシギシと音をたてる積荷の楼閣。その間にはさまって人間が座っているかと思うと、自然ハンドルを握る手にもペダルをふむ足にも汗がにじんでくる。キシむのは崩れぬよう堅固に積んでいったゆえのことではあるのだが、急ブレーキなんぞ踏もうものなら、これがナダれ落ちぬという保証はない。
前橋インターチェンジから関越自動車に乗り込み、東京方面へ。
三車線の一番左、走行車線でゆっくりとスピードを上げた。
前橋から終点練馬までの路線距離は約90km。時速100km/hでおよそ一時間の距離であるが、安全を期し80km/h程度で巡行する。トイレ休憩を勘案すれば練馬着は10:30頃になろうか。そこから環八を下り、第三京浜から藤沢へ------現地到着は丁度日付が変わる頃になるであろう。長丁場だ。
言葉だけでは不案内であろう。イヤがらせのようにデカい画像となってしまったが、参考としてこのエクソダスのルートマップを添付してみよう。
・・・こうしてみると、遠いような、近いような・・・なにしろ澤金は遠い。
インターチェンジまでの一般道と違い、ほぼ直線で信号のない高速道路である。ゆったりと巡航するうちだんだんと皆に落ち着きが戻ってきた。まだ引越は道半ばであるのだが、今までの数時間ずっと荷物と時間と格闘しながら体と心にストレスを与え続けてきたわけで、気のほぐれるままに自然と会話が始まった。
「ロクサーヌ、河を越えて今グンマからサイタマ県に入ったわ。トウキョウの上」
「オゥ、サイタマ?アイスィー、アイハヴァアフレンリヴィンサイタマ」
「オー、ユーノー。ウェルロクサン、アーユーリメンバーザプレース
ヴィジットゼアウィズミーアンドヤスヨ、ツーマンスアゴー?」
「シュア、ゼンコゥジ!ナァガノゥ。」
「うふふふ、あなたも大分ニホンのこと覚えてきたわね。
・・・あたしとやすよとロクサーヌでね、こないだ善光寺に行ってきたのよ」
叔母と従姉妹は何回かロクサーヌと一緒に旅行をしているらしい。
英語を詳しく聞き取れなくてもカタコトであっても、何時間か聞いているうちに少しずつ慣れ始めてきた私。心に余裕も出てきたので缶コーヒーを開けて肩の力を抜き、カンバセィションに参戦してみた。
「長野善光寺?・・アー、ユウ、インタレスト、イン、ジャパニーズ・・
・・あ〜、あ〜っと、・・・ジャパニーズ、テンプル?」
「オゥイャァ、ゼァビュゥティフォゥ。ィムインタレスティンブッディズム
コゥルチュァ。」
「ブッディズム?あぁ、ブッダ、仏教ね。・・ダイブツとか好きなの?」
「イヤッ、テンポォォ〜ス、ブディズンスタテュゥ〜ス、ァイカ〜ンス・・
・・エン、シャキョウ!」
・・・あ、え?、聞き取れん。シャ、シャッキョウ?
「あははは、彼女仏像とかあぁ言う仏さまの絵とかが好きなのよ。
それとこないだね、あたしたち本殿で写経してきたの」
『写経』か!私でもしたことないものである。
「それとことわざ・・いやことわざじゃないけど、一つ覚えたのよね
ロクサーヌ、あれ、フレーズオヴアカウ・・・」
「アァハ、ェァ〜ム・・“ウシニ、ヒカレテ、ゼンコジ、マイリ”」(二人笑)
・・・なんともありがたいフレーズをお覚えで・・・。
叔母と従姉妹と彼女の三人は京都にも行った事があるらしく、その後もしばらく旅行の思い出話やお寺や仏さまの話を続けた。やがて叔母の家で見たブツダンがビューティホーだった(?)などの話となり、彼女は私に尋ねてきた。
「ユゥハヴァブツダン?インヨァホーム」
「え、オレんち?あ〜・・仏壇はないなぁ、ノー、アイ、ドント。」
「アゥ、・・ヨォクリッシャン?」
「あ、いや、ウチは神道なんです。シントー、ジンジャ。ノットブッダ、ジャパニーズゴッド」
「アァ、シントー。・・・」
会話はここでわずかに止まった気がした。日本のテンプル・シュリンは知っていても“シントー”はちょっと耳なじみがなかったのだろうか。
「勝春んちは工務店やってたしね、事務所もカミダナだったもんね。
・・・そう言えば、今さらだけど、自己紹介してなかったわね。
勝春、ロクサーヌに自己紹介してごらんなさいよ」
自己紹介!あぁ、何を話せばよいのだろう。いや話せることはいくらでもあるハズだが、如何にせん英語でしゃべらないと通じないわけだ。
「アー、マイネーム、イズ、カツハル・・・アイムサーティーイヤーズオールド・・、アイム、アイム・・あ〜・・・建築関係ってなんて言えばいいの?」
「ん〜、・・・アァム、ヒズワークイズアーキテクトデザイン」
「オゥアイシィ、アゥキテクチュァ。イズィッ、インタレスティン?」
は?、インタレスティング?おもしろいかってこと?
職業を伝えた際の第一反応が「それは面白いですか?」とは、我がニホンゴ会話の世界ではあまり見られない例である。若干面喰らったが、とりあえず「えぇまぁ、楽しいよ」ぐらいに答え、私も逆に問うてみた。
「ユー、アー、イングリッシュティーチャー、・・ドゥーユーライクイット?」
「アァハン、ティーチングリッ? イッティンタレスティン!」
「あ〜、あ〜・・ドゥーユーシンク・・アバウトジャパニーズ、イングリッシュスピーキング・・ゼイ、アー、グッド?あれ?え〜と・・・」
私は、私のようなガチガチのニホンジンに英語を教えるのは大変ではないのか?と聞きたかったのだ。叔母が訳して尋ねると、彼女はハッキリと「他の国と比べると、日本で教えるのは大変です」と答えた。
「アィウォズティーチン、イン、フランス、グリィク、インディァ、ビフォゥウェナィケィムジャペェアン」
彼女はこの若さで既に4カ国で英会話講師をした経験があると言う。確かにここ日本でも日々の生活の中に“英語的”なものはあふれかえっているが、それは文節としてではなくあくまで単語としてである。欧米圏で教える英語と“日本圏”で教える英語とは、やはり質の違うものであるらしい。
ここで私はズバリ「他の国と比べてみて、日本はどうですか?」と聞いてみた。一見直截的なようで、なんともアイマイな質問。全然ズバっちゃいないがやっぱり気になる。外から見た我が国は、如何に見えるのか?
「フゥ〜ン・・・、アィラヴィット、・・・バット・・・aam」
・・・バ、バット・・!? しかし、何!?
「アィムスケアァドジャッパニィズメンァリドゥ」
“日本の男の人ちょっとコワいです”
「・・・・え?」
その時、にわかに大きな雨粒がフロントガラスを叩き始めた。
.... to be continued
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