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□■ 猫のいる空間・2
2007/11/01 09:00
ムサビ猫たちによって、私は猫の魅力を十分に知ることが出来た。

人が近寄っても逃げず、自分たちのアンニュイな生態を惜しげもなく魅せる彼ら。

そういった人との共存関係は、ムサビ内に限られたことだと思っていたのだが、そうではないと教えてくれたのが主人である。

人が人と生活を共にすると、互いの嗜好、感覚などを無意識に取り込んでいることがあり、それがまた面白かったりするのだが、付き合いだしてから時折彼の飼っていた猫の可愛さ、お馬鹿さを聞くようになり、私の中で猫の占める割合は確実に大きくなっていった。


そして、今から6年前、ある猫と運命の出会いを果たす。

秩父に住む主人の父の飼い猫、「ミャア」である。



主人は子供の頃から、一時預かりを含め数匹猫を飼っているのだが、そのどの猫も名前は「ミャア」。6年前に父が引き取ったその猫も慣習に習って「5代目ミャア」を襲名していた。

以前も記事に書いたかもしれないが、私達家族は毎年1~2回、秩父に住む父の家に数泊しに行く。父が「ちょっと前から猫を飼っている」と聞かされていたその年は、私も主人も、あからさまに心浮き立っていた。

しかし、初めてそのミャアに出会ったとき、あまりの頼りなさにちょっと戸惑った。
まず体がとても小さい。雌猫であるということを差し引いても華奢で小柄過ぎ。抱き上げると軽すぎて拍子抜けしてしまう。一応三毛猫なのだが、模様は少なく、色素も薄い。毛並みも、お世辞にも艶やかとは言えない。見るからに、”遺伝子的に弱い固体”という印象だった。

2
瞳孔全開の化け猫ミャア。なおさら可愛らしさが伝わらない。

そして、彼女は極端に「鳴かない猫」だった。飼い主の父でさえほとんど鳴き声を聞かないと言っていた。餌がほしくても、甘えたくても、仕草はちょろっと見せるものの、鳴きはしない。自己主張の少ない猫であった。
そんな控えめな彼女が唯一声を出すのが、我々が父の家に到着した時。
車が到着し、家の中から私たちの話し声が聞こえると、裏山から駆け下りてきて裏口から居間へ入り、会釈するように頭を下げながら「あ・・あぉぅ・・」と声を出す。
私は、あれは彼女なりの挨拶であったと固く信じて疑わない。

その控えめさは、同種に対してもしかりだった。近隣に住む他の飼い猫たちはなかなかのツワモノぞろいで、留守中に戸締りなどてんでせず、猫の餌が常備されている父の住まいの中も他の猫のテリトリーの一部となっていたようだった。
それもちょっといろいろな意味で問題だと思うのだが、第一、ミャアが自分の住処である父の家からさえも、ライバルを追い出すことは出来ずにいた。我が物顔で自分の餌を食べに来ている猫を柱の影から怯えながら見ているだけなのだ。それはもう日常茶飯事で、私達が父の家に滞在している時にも度々そんな光景に出くわした。代わりに私がライバル猫を「こら~~~っ!!!」と追い払おうと箒を手に追い立てるも失敗、ミャアに「もーあんたさー、しっかりしなさいよ!隠れてる場合じゃないでしょ!」とはっぱをかけても、彼女は(あー・・・怖かった・・)という風に柱の影から出てくるだけなのだった。

不甲斐なく、頼りない彼女は生い立ちすらも悲惨だった。

聞くところによると、彼女は元々は父の隣家の孫娘(小学生)が道端から自宅へ拾ってきた猫だった。手のひらサイズの瀕死の子猫を見捨てることが出来なかったのだろう。帰宅し猫嫌いな祖母を説得するも飼うことを許されず、それでも手放せずにいると、祖母は翌朝孫の部屋から子猫を持ち出し、あろうことか箱に入れてゴミ集積場に出してしまったのだそうだ。
幸い、収集時間が過ぎていたため猫は難を逃れ、再び下校途中の孫娘に救出された。
祖母のあまりの仕打ちに孫娘は泣きながら、家の隣に住む変わり者だけど割と優しい木こりのおじいさんに助けを求めた。
少女の涙の訴えを受け、元来猫好きだった父は断る術もなく、こうしてその捨て猫は父と同居することとなったのだった。


ミャアが父の家に住むようになってから、古びた蚕農家である父の住まいが、我らにとって輝きを放つものになったのは言うまでもない。

1
爆睡中。

ミャアは弱々しかったけどとても可愛らしかった。人懐こく、人と一緒に過ごす空間を楽しんでいるように見えた。
ある時は人の膝の上で寝たり、ある時は人の横でお腹丸出しで寝たり。

自分で言うのもなんだが、私とミャアは、とても相性が良かったように思う。
私は猫を飼ったこともなく、特定の猫と長く時間を共にすることもそれまで無かったのだが、このミャアは私達が滞在している間、殊更私の膝の上にいることが多かった。
父は、そういうときのミャアを見て、「そんなにふやけた顔をしているのを見たことがない」とよく言っていた。

3
私の膝の上で。どかさない限りいつまでも寝る。

実は理由は明確だった。
同時期に父が養っていた、父以外には全く懐かない半ノラの猫「ノラミャア」が、毎夜父を独り占めして甘えていたこと。
また私が女で皮下脂肪が多く、腿上の寝心地が多少良かったこと、他の訪問者(主人と息子)は可愛がりながらも時折悪戯を仕掛けてしまい、均衡を保つため私がたしなめ役に回らざるを得なかったこと(内心は見て笑っていたけど)などが揚げられるが、やはり自分の側にいることを好んでくれる姿は可愛いもので、そんな私の思いも彼女に通じているような気がしてならなかった。

主人と息子の「野郎コンビ」が繰り出すちょっかいは、度が過ぎたものではないにしても、彼女にとっては迷惑極まりなかっただろう。
ある時、二人が昆虫採集をしていた時のこと。目ぼしい虫が見つからず、持て余していた捕虫網を毛繕いなどして完全にくつろいでいるミャアに被せてしまった。
背後から迫られ、逃げる隙もなかった彼女は、びっくりして飛び上がったが網のせいでそのまま同じ位置に着地させられ、目を閉じコトが過ぎるのを耐え忍んでいた。網の中で一杯いっぱいになっている彼女は、可愛い猫型ティーポットカバーのようだった。
(他にも例を挙げようと思ったが、文章にすると悪質さしか伝わらないような気がするので控えさせていただきます。)


また、悪戯ではないが、私が傍らに置いたコロコロカーペットの上に寝そべってしまい、背中の毛に粘着面が貼り付いてしまったことがあった。姿勢を変えたときに毛が引っ張られたのだろう、未知の感覚にミャアはめっぽう驚き、シートを一枚背中に付けたまま今までに見せたことのない暴走を始めた。あんまり驚いたので裏山まで一回りしてきたようだったが、落ち着くとしょんぼり我々のところへ帰ってきて、大人しく私の前に座った。私がシートを剥がす間、脱毛の痛みに目を閉じて我慢していた。


こうして思い返すと、印象に残っている彼女の姿は、耐えている顔か寝ている顔ばかりだ。
情けない顔は、可哀想と思う反面、たとえようもなくいじらしく見えてしまう。
しかし、本当に私達はミャアを可愛がっていた。心底愛おしかった。



おととしの春、ミャアは突然姿を消した。

恐らく、近隣の猫たちに追い出されてしまったのだろうというのが、父の見解だった。

猫同士が争った形跡が、家の中に残っていたそうだ。



我々の心は、ぽっかりと穴が開いたようになってしまった。

自分たちの飼い猫ではないのに、彼女を守りきれなかったことを悔やんだ。(あの時、あのドラ猫を徹底的に追い出してやれば・・)と何度も思った。


一番辛い思いをしていたのは、父だった。残念なことに、ミャアの失踪と時を同じくして、ノラミャアも病気で亡くしていた。

ぽそっと「もう猫は飼わない」とつぶやく姿を見て、私は胸が痛んだ。



人と猫の密接な関係ははるか昔から続いている。
人は猫に癒され、猫は人に養われる。


野生の山猫や、家猫の原種を見るといつも思う。

猫は、人間と共存することを種の保存の手段に選んだ生物なのだろうか。

それとも、人間が己の心の隙間を埋めるために、エゴで自分たちのいいように形を変えさせ、側に置いてきたのか。

考えてもキリのないことだ。でも、あのミャアと私達は、短い間だったけれど、心を通わせることが出来ていたと信じたいのだが、それもただのエゴなのかもしれない。


家を追われ、行き着いた先で親切な人に拾われ、今は安息の日々を過ごしていてほしいなどという甘い幻想を今でも抱きながら、最近また猫の引き取り依頼があって真剣に悩んでいる父を切なく思った。
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コメント
凄い鋭いとこ突いてきますよね、みのりさんっって。
僕もよくそのことを考える事があります。共存なの?エゴなの?

答えは解かりません。

しかし小学校の先生は「犬や猫には心は無い」と言っていましたが、それが間違いなのははっきり分かります。
犬と猫は特別、人との関わりが深い動物です。
とりあえず、人はまず「自分が動物である」という事を思い出す必要があると思います。

でも、そんなことより もっとライトに読めば、「木こり」のお父さんが文章に登場すると、胸躍ります・・・。
【2007/11/02 23:43
WEBLINK [ ] NAME [ 大五郎 #2ac029c168 ] EDIT
いやぁ〜、みのりさんの文章、ホント引き込まれます。
ウチは犬派なので、ネコのことはよく分かりませんが、みのりさんの文章を読んでいるだけで、愛おしくなっちゃいます。

しかも、忽然と消えたミャア。
・・・神秘的ですね。

きっとどこかで生きていますよ。




【2007/11/03 19:28
WEBLINK [ URL ] NAME [ じめ #56a168f6b6 ] EDIT
≫大五郎
「犬や猫に心は無い」かぁー。
そういう発想があること自体不思議だ。
その先生は犬猫と何か嫌な思い出があるのかねー。残念。
木こりのお父さんはナイスキャラです。やることなすこと結構衝撃的です。

≫じめちゃん
犬派なのね。犬もいいよねー。最近ボストンテリアが非常に気になるのよ。
この間横浜に行ったとき、ドッグショーがあったらしくそこらじゅう犬まみれ。コンビニ前で待たされているフレンチブルを撫でることが出来たのよ。額が、太ったオッサンの後頭部みたいで、かわいかったぁ~!
でも猫が好き・・・。
【2007/11/04 14:03
WEBLINK [ ] NAME [ みのり #57551f8076 ] EDIT
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