忍者ブログ
□■ [PR]
2024/04/18 19:27
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


CATEGORY [ ]
pagetop
□■ 英語でしゃべらナイト《最終回》
2007/12/15 18:36
—— 日本の男の人ちょっとコワいです ——

メリケン娘ロクサーヌの口から発せられた、ショッキングな言葉。



‥‥コワい?


‥‥一体何が?


 ‥‥容姿?‥‥性格?‥‥挙動?‥‥いずれにしてもこれがマンジュウでない限り、イカンな気持ちを含みまくった言葉であることに違いはない。


 私だって日本の男の人だ。
 たとえ私個人を特定するものではないとしても、これは私が現在に至るまで30年以上の長きに渡りどっぷりと両足をつっこんできたカテゴリーに向けて言い放たれたイカン表明なのである。彼女がメグかアンジェリーナかそれともウーピーであるかは別にして、これがショックでないことがあろうか。いやナイ。そうだろ?日本男児諸君。

 ショックは否めないが、そうかといってそんな心の動揺を悟られたくはないチキンな私。ここはひとまず冷静かつ穏便に、その真意を探って行きたい。

 日本語なれば、声のトーンを〝若干トボケ気味〟の周波数帯にセットし、出力を6割程度に抑えた笑顔を交えて内心の狼狽をごまかしつつ『またァ、そんなこと言ってェ、どこらへんがコワいって言うのさ?』(←文字にするとなんかエロい)とタイミングを逃さずに言えたであろう。ハウエヴァ、ここは英語でしゃべらないとならないわけであり、咄嗟には言葉が見つからない。

 ———〝どこらへん〟って何て言ったらいいのだろう‥‥ホウェア?‥‥いや絶対違う気がする‥‥それともホワィで直球勝負にでるか?‥‥いやちょっと待て不用意にこの言葉を使ってはかえって心の動揺を相手に悟らせてしまいかねん‥‥

 ‥‥などと逡巡している間に、結局私の動揺を察してしまったロクサーヌ。「ノゥノゥ、もちろん全員のことじゃないわ!」と畳み掛けるように言葉を継いできた。

 気取られてしまったことがハズかしいが、全員ではないと言うならば、つまりそのサムオブゼムは確実にコワいと云うことではないか。どないやねん!?ロクサーヌゥゥ‥‥!!

 すでに彼女のそういった言葉を何度か聞いていたのであろう、さほど驚いた態もなく叔母は苦笑まじりにカラカラと言う。

 「あれだけ○○サン(←英会話教室オーナー)とモメたんだもの、
  しばらくはしょうがないわよねぇ」

 ‥‥え?確かにそりゃ可哀想だけどそういったレベルの話なのこれ?彼女のコトバが対象とする人物は少なくとも6千万人はいるんだぜ、オーナーさんだけのことを言ってるわけじゃないんじゃな‥‥

 「まぁそれもこれでもうお別れよロクサン、‥‥それにしても、
  ずいぶん降ってきたわね‥‥」

 ‥‥ってお〜い!このままシメるなっつうの!まだオレは納得してないっつうのォォォ!!‥‥

‥‥うん、でも確かにこりゃ降ってきたなぁ‥‥

 先ほどから降りはじめた雨が会話を遮るほどに激しさを増してきた。


 にわかにこれが凄まじいドシャ降りとなる。折から大平洋上に前線が停滞中のこと、正確に言えば〝降り始めた〟と言うよりすでに激しく降っている地域に高速で突入したわけであるが、ワイパーを最大にしても滝のような雨水がフロントガラスを覆い、ワダチの水たまりにタイヤをとられて車体が右に左に振れまくる。
 そんな私たちの傍らをこんな雨などなれっこだと言わんばかりのスピードでトラックやトレーラーが抜き去れば、そのたびモウモウと巻き上げられる水煙につつまれて視界は数秒の間ホワイトアウト。これがもうマジで怖い。

「ちょ、ちょっとスピード下げたほうがいいんじゃない?」

 尋常ないまっ白な世界に助手席の叔母も恐怖を感じているようだが、同じ雨の中を走る後続車両がいる上にただでさえ大量の荷物で重たいこのクルマ。ブレーキを踏むのだって容易ではない。

 彼女の日本人男性不審の原因がオーナーさんと揉めたこととはいかにも腑に落ちぬままではあるが、そんなこんなでこの会話は一旦おあずけとなり、しばらくウェットコンディションの運転を続けているうちにやがて頭から離れてしまった。



**************************



 その後料金所手前のサービスエリアでトイレ&小休憩をし、午後11時近くに高速を降りた。この時間ではさも当たり前のように環状八号線は渋滞中(当時井荻トンネルは未開通)。依然続く雨の中、さっきまでとは打って変わったノロノロ運転の気だるさに心身の疲れがジワジワ染みてくる。ロクサーヌと叔母が言葉を交わす他はしばらくまとまった会話もないまま、藤沢に向け粛々とクルマを進めた。
 上野毛多摩美を過ぎ、玉川ICから第三京浜へ。環八と違って道は程よく空いており、ここから横浜新道を抜けるまでは早かった。国道1号線は滞り気味であったが、日付変わって24時半を過ぎたころ、私たちは藤沢市に入った。雨や渋滞で予想より若干遅れ気味ではあるが、まずまず順調だったと言っていい。


 ローマ字で書かれた住所のメモ書きをロクサーヌから受け取り、叔母に地図を繰ってもらいながら彼女のアパートを目指す。町名を追ってたどり着いた一帯は丘陵に広がる住宅地。区画整理の及んでいない古い地区と見えて、細く曲がりくねった道が斜面にそって複雑に入り組んでいる。
 持参した地図は3万分の1だ。もちろんこれでは住所まで特定できるはずもないので当初からコンビニや交番を頼るつもりでいたのだが、クルマがやっとすれ違えるだけ(いわゆる2項道路)のクネクネ坂道に囲まれてミッシリと家々が建ち並ぶこの状況、パっと見だけでもコンビニなどありそうにない。目的地探しは難航した。

 ——コンビニは?、交番は?、って言うかアパートは?‥‥一体ドコを目指したものやらという感じだが、一方通行や袋小路に辟易しながら地図と電信柱の地番表示をたよりにグルグルと坂道を巡りつづけ、なんとかここらへんに違いないという街区までたどり着いた。雨に滲むサイドウインドウを降ろし電信柱を見てみれば、メモの丁目番地と符合する。「おぉ〜近い!近いぞ!」とヌカよろこびしてはみたものの、依然辺りは住宅街、付近にアパートらしきものなど幾つもある。雨の降り続く闇の中、これを一軒一軒探してまわるなどウンザリである。

 このままでは時間をムダにするばかり。結局交番かコンビニで住宅地図を確認する他に確かな法はなく、私のような行き当たりバッタリストでない叔母とロクサーヌの主張もあって一旦最寄りの駅まで戻ることにした。このスグ近くにあるハズなのに‥‥口惜しいけれどしようがない。
 無念を押し殺しひとまず街道に出ようと路地を曲がったその瞬間、建物と建物の間にチラリと見えたシマシマ模様。彼女のメモには〝LEOPALACE〟——白黒のツートンカラーが特徴だ。もしやと思いクルマを降りて近くまで歩いて行くと、これが確かにレ○パレス。ドキドキしながら門内まで入りエントランスを確認してみれば、果たしてそこは彼女の入るアパートであった。あぁぁ、見つかった‥‥!(涙)
 見当は、間違っていなかったのである。


 アパートに辿り着き引越しは最終段階に突入。一向に治まらない大雨の中、私たちはズブ濡れになりながら搬入作業に取組んだ。坂道に面しているため駐車場からエントランスまでには高低差もあったのだが、狭いトコロに詰めるより広いトコロに開く方が速いものである。部屋が1階であったことも幸いし、あれだけ苦労して積み込んだ荷物が30分足らずで空っぽとなった。あとわずか‥!——心急くまま通路にプールしておいた段ボール類を小走りに運び込み、最後に残った洗濯機を玄関近くの防水パンに安置して、ついにミッション・コンプリート!
 作業開始から9時間余り、〝ガイジンのヨニゲ〟は完了した。


**************************


 家具や包みや段ボールであふれ返る室内、めいめい荷物に腰掛けてビショビショの体をタオルでぬぐい、さっそくに荷をほどいた紅茶を淹れて一服した。雨に冷えきった体に〝本場のアッサムティー〟が染み渡る。
 ‥‥あぁウマい、ウマいよロクサーヌ!さっきは分らなかった本場の味、たまに飲む午後ティーと同じくらい美味しいよ!(笑)

 熱い紅茶の温もりと引越完了の安堵感が体に拡がるとともに、猛烈な空腹感が襲ってきた。休憩したサービスエリアで菓子パンを食べた他は、この時間に至るまで何も食べていないのだ。「おごらせて欲しい」という彼女にマァマァと苦笑で応えながら、私たちはクルマに乗って藤沢駅近くのファミレスまで食事に出た。


 腹は減っていたが私も叔母もそもそもが小食である。あっと言う間に食事を済ませてしまった私たちに「遠慮しないで食べて」と言うロクサーヌ。引越業者でない私たちが手伝うこととなった今までの経緯を考えれば彼女には十分人を遠慮させるに足る理由があるのだが、せっかくの気持ちを無下にするのも忍びない。普段は食べないデザートを注文しドリンクバーをおかわりすると、そのまま真夜中のティータイムが始まった。

 口も耳も慣れるものである。カタコトや聞き直しは変わらねど、このころには身ぶり手ぶりを交えながら大分意思疎通がとれるようになっていた。やはり「しゃべらないと、どうにもならない」状況こそが語学習得の近道なのだろう。私は英会話教室の生徒気分で、彼女についていろいろと質問してみた。

 ——カリフォルニア出身の彼女、故郷では父親と祖父との3人暮らし。離婚した母とは別居していたが自分も父も普段から普通に会う関係。向こうでは珍しい事ではないと言う。自宅の裏には大きなゴルフ場があり、よく父や祖父と一緒に散歩気分でプレーしていた。父は会社勤めだが、祖父は農家でブドウ畑も持っており、これが有名な加州ワインになる——等々。
 叔母からポツポツと聞いてはいたが、怒濤のような出来事の連続にハナシ半分だった私。ここに至ってやっと彼女のプロフィールが明らかになってきた。

 叔母も私もワインが好きなことを伝えると、お世話になった御礼に父からワインを送ってもらうと言う。

 「それは嬉しい!ありがとう。しかし何年も海外で働いていて、
  お父さんは心配してるんじゃないかな‥‥?」

 「もちろん心配しているわ。今回のトラブルを(電話で)話したら
  父は怒りだして〝もう家に帰って来い!〟って言うの。
  でも新しい職場も見つかったし、私は日本でまだしばらく続けるつもり。
  あなたたちにはこんなに親切にしてもらって、彼も感謝すると思う。」

 ここで私は〝雨水に〟流れたままとなっているアノ疑問を思い出した。「日本の男の人ちょっとコワい」のは、そのトラブルの所為だけなのか?それでもやっぱり日本のオトコは怖いのか?ここで聞かねば、もう一生聞くことはないだろう。今なら空気もナゴんでる。意を決して私は聞いた。

 「‥‥あのロクサン、‥‥やっぱり日本人の男性ってコワイですか?」

 突然の(少なくとも彼女にとっては)質問に眉をひそめたロクサーヌ。あれ、ヤバいかな?‥‥でももう言っちゃった。ビミョーな空気の硬化にチキンなハートが鼓動する。彼女はしばしコップの紅茶を見つめ、やがて口重そうに話し始めた。


 「‥‥実はね、おじいちゃんが日本をあまり好きでなかったの」


 「は、はぁ‥‥」


 ‥‥どうやら私は、パンドラの箱を開けてしまったようだ。


 彼女は幼い頃からお祖父さんが日本について苦々しそうに話す姿を度々目にしていたと言う。場所はカリフォルニア、お祖父さんが生まれる前から多数の日本人が入植した土地である。私も本やテレビで見たことがある、いろいろな軋轢があったことを。そして、戦争——。

 「ネイビーで戦争に参加したおじいちゃんは、日本人は
  エンペラーのために戦っていると教えられていた。
  友達を何人も亡くして、日本を、エンペラーを憎んでいたわ」

 私はハッとした。藤沢に向かうクルマの中で「ウチはシントー(神道)です」と話していたのだ。はたして彼女はシントーとエンペラーの関係を知ってたのだろうか?もし知っていたとして、それがこのお祖父さんから聞いたものだったとしたら‥‥
 とは言えこれはデリケートな問題だ。我々日本人にしてみれば神社にお参りするシントーとあの時代の国家シントーとを単純にイコールで結ぶことはできないのであるが、そのアヤを伝えることなど英会話練達者にさえ難しいことだろう。真意を確かめる事も出来ぬまま、話は続いた。

 「‥‥だけどそれはおじいちゃんの時代の話。
  だから私は興味があったの、日本がどんな国かってことに。
  それなのに、来日してから残念なことばかり続いて、
  ああいった考えを持ってしまったの」

 ここまでの話は叔母も初めて聞いたようである。シリアスな彼女の言葉に今度ばかりは声もない。

 「本当はこんなことを話したくはなかったし、
  あなたたちに話すべきではないことだった。
  でも信じて下さい、あなたたちは本当に親切にしてくれた。
  私をここまで助けてくれた日本人はあなたたちの他に居ません。
  本当にありがとう」

 そう言って礼を述べる彼女の瞳には感謝の誠が浮かんでいたが、このやりきれない気持ちと言ったらどうだろう。なま乾きな情念が大平洋と60余年を越えて存在していることのリアルさを、まざまざと見せつけられた思いだった。


 ‥‥それにしてもヘビー過ぎる話に暗く沈んでしまったこの雰囲気。さてはてコレを読んでいる皆様もそうだろうが、彼女にだって重苦しいことであろうことには変わりがない。話題を変えようと思ってかそうでないのか、ここでロクサーヌは声のトーンを変え、一転してトンデもないことを話し出したのだ。「日本の男の人ちょっとコワい」、最大の理由を‥‥!!



 「あの‥‥、なんで、日本にはポルノグラフィが多いの?」


——は?

 唐突すぎる発言に私たちは一瞬耳を疑った。ポ、ポルノ?

 「日本ではいろんなところで(ハダカやそれに近い)女性の写真が見られる。
  電車やお店はこどもたちも使うのよ。今まで見てきた国の中で、
  こんなことが許されているのは日本だけだわ!」

 吐き出した途端彼女の心に炎が上がったようだ。「日本の男ちょっとコワい」のは、つまるところ思いっきりフェミニンな問題だったのである。
 街に溢れる風俗産業!旧態依然な女性蔑視!インモラルなジャパンに対する彼女の怒りが噴火する!あんぐりと口を開けたままの私たちに、アングリーを抑えきれない彼女は(←押韻)さらに衝撃的なことを話す!

 「始めて日本に来た晩に泊まったホテルで、
  テレビの英語放送を探してチャンネルを回していたら、
  ポルノ放送が流れていたの!誰でも見れるテレビによ!
  しかもそれが!!‥‥」

 しかもそれが、——いわゆるローソクとムチを使ったプレイであったという‥‥

 男性が女性を虐待する映像に目を回した彼女。同じく目眩がする気分の私たちにそれが如何に倒錯的なものであったかを声を荒げて力説した。

 ‥‥主よ、初めての日米交渉に臨む私の背中にいきなりこんな十字架を負わせたもう我が父よ、この試練に感謝します‥‥でもせめて、「親類の前でのSMバナシ」だけにはお慈悲をたれていただきとうございました‥‥アーメン‥‥


 ‥‥って言うかここ一連のベッタベタな会話ウソみてえだろ?デキすぎだろ?しかしこれが私たちの知らない最新かつ迷惑きわまりないアメリカンジョークであるかそれとも彼女(若しくはオレ)が悪意を持った大ウソつきでない限りはホントのことなんだから世界は狭い。あまりのことに私はあやうく「ウィップ(whip:=ムチ)て何?」と聞きかえしてしまうところだった。


 力説するうちレッドゾーンに突入したロクサーヌは、つい先程謝意を述べたものとは思えない、怒りと疑いと恐れと蔑みの入り交じる目をキッと私に向けた。「‥‥ユゥドゥザット?」
 


 『あなたもああいうことするの?』




 ふざけんなあぁぁ!!!




 オレはノーマルだぁぁぁ!!!‥‥いやいやいや、それも大事だが真の論点はそこじゃない!誤解すんなよ、オレたちをなんだと思ってやがる!!!
 まさかニッポン人の全てがアブノーマルな性癖の持ち主でしかも女性蔑視主義の未開人などと思われてはたまったもんじゃない。私は我が国の尊厳を掛け、アメリカ人だろうがアフリカ人だろうがレティクル座ゼータ星人であろうが言語人種を越えて伝え伝わる限りのNo!を全身で表現した。

 そのケンマクに彼女は我に帰ったか、はたまた安堵したのか、調子を戻して静かに言った。

 「So、日本の男の人、コワかったんです」


 あぁ、世界にはさまざまな価値観がある。克服していかなければならない問題もたくさんある。ジェンダーフリーもその一つだろう。まがりなりにも日本は先進国であるはずなのに、彼女がこの国で見聞きしたことはそれを語る以前のものばかり。——水着の写真?‥‥あれはプロモーションの一環だ、彼女たちだって頑張ってんだ。アダルト放送?‥‥もしかしたらそのホテル、〝特殊な〟安宿だったんじゃないの?普通のホテルにそんなのありゃしねえや。——風俗店?‥‥あれはねどこでもあるもんじゃない、ちゃんと〝目に見えない〟結界で線引きされてるんでい!‥‥なんて理由をつけたところで言い訳にもなりゃしない。彼女の問いかけに私が思わず激してしまったことだって、それが私たちの自己矛盾を突いていたからがゆえのことかもしれない‥‥触れられたくない陰の情、後ろめたさに茶も冷める‥‥


 ‥‥だがしかし!、だがしかしだロクサーヌ!、
   君の気持ちも理解出来る。理解出来るが、君が、君が本当に‥‥

 「聞いて、ロクサーヌ。
  確かにそれは酷い経験だったわね。私も日本人として恥ずかしく思う。
  でもね、日本だけのことではなく、あなたがいろんな国でいろんな人と
  生活するためには、文化や習慣の違いを考えなければならないわ。
  嫌なことがあっても、広い目でものごとを見ない限り、
  あなたが本当に学びたいことは見えてこないと私は思う。
  ね、あなたも分るはずよ、ロクサーヌ。
  今度からまた新しい教室で働くんだから、そのことを忘れないでね。
  ‥‥あら、もう3時半になるじゃないの。そろそろ行ってみないと大変よ」

 タイミングも声のトーンも完璧な叔母のシメ。英語だからうろ覚えだけど、大意はたしかこんな感じだったと思う。

 「オケィ、アィアンダスタン‥‥」
 小さくため息をついてからロクサーヌは叔母にうなずき、小一時間続いた僕らの第二次太平洋戦争は、終始我が国不利のまま、ここに終結した。

 その後食事代について気持ちはありがたいが全て払わせるわけにはいかないと押し問答があったが、さほどの金額でもなかったので彼女の好意を承けて会計を済ませ、私たちは店を後にした。



 アパートに戻って彼女を下ろし、雨は続いていたがサイドウインドウを半ばまで下げて、それぞれ感謝の言葉とさようならの挨拶を交わす。一見タフでパワフルに見えて実はとてつもなくセンシティブでピュアだったアメリカンガールとのミラクルアドベンチャー。一時は永遠に終わらないとさえ思われた旅だったが、ついに彼女ともお別れの時が来た。


 「ありがとう、本当にありがとう。手紙を書くわ」
 「ワイン楽しみにしていてね」
 「ヤスヨにもよろしく伝えてね」

 「じゃあねロクサーヌ、元気でね!サヨウナラ、グッバイ!」


 ‥‥がんばれロクサーヌ。この国には、
   ブッダの他にも美しく楽しい事があるハズさ——


 私たちは本気で彼女の幸せを祈りながら、帰途に付いた。



 叔母を下ろして家に着いたのは朝の7時。私はブッ倒れるように眠りについた。



**************************



 ——数週間後、ワインが届いた。
 あの夜のことを、彼女のことを思い出しながらグラスに注ぎ、カリフォルニアの香りを確かめる。レモンのような明るい色。ライトボディの若いそれは、さわやかではあるが、とても酸っぱかった。

 あれから英会話など(←英語と呼べるシロモノではなかったが)すっかりサッパリ忘れはててしまい当分使う事もないだろうが、テレビなどで日本で生活するガイジンのことを見るたびに、ロクサーヌのことを思い出す。特に最近破綻したNOVAの事件は、世界中に日本のバッドイメージをばらまいたと共に、彼女の苦悩が決して大袈裟なものではなかったことを再確認させられたようで、やりきれない。

 日本は江戸時代にでも戻らない限り、世界と商売をしないとやって行けない国である。地元じゃ滅多に関わる機会もないが、私の愛するこの国を彼ら彼女らにも愛してもらえるよう、誠の〝ワのココロ〟をもちたいものですね。





THE END
PR

CATEGORY [ 諸田勝春 ] COMMENT [ 1 ]TRACKBACK [ ]
pagetop
<<徒然なるままに~今日この頃アラカルト | HOME | 温泉は12月に。>>
コメント
いやぁ〜!読み応えがありました!!
ありがとうございます。

忘年会で「書いてくださいよ〜」とねだってしまったの、無理をしてくれたのではないか?とちょっと不安です。

いやぁロクサーヌ、不運が重なったのね...
SMプレイ...誤解もいいところだよ!!
そんなこと言ったら、基礎デの新歓で洗濯ばさみプレイをさせられた僕は、どうなるんだ!!と思い出さなくてもいいことを思い出してしまいました...。

それはさておき、とにかくその国の文化や考え方のギャップってのは大きいですよね...。
僕も大好きだったイタリアのイメージが今や悲惨なものになっているので、何とか立て直し、よりよい理解が進むように頑張らなくてはと思っています...。(^_^;;

【2008/01/10 02:14
WEBLINK [ ] NAME [ じめ #56a171594e ] EDIT
コメント投稿














pagetop
trackback
トラックバックURL

pagetop
FRONT| HOME |NEXT

忍者ブログ [PR]